4月2~8日にかけて、岩手県・野田村で被災した晴山茂美さん(60)、茂樹さん(33)親子を訪ねた。私のツイッター仲間の紹介である。野田村はマスコミが取材に来ることのない「忘れられた被災地」だった(前々回前回からお読みください)。

遠くで聞こえるタレントの「がんばろう、ニッポン」

 紺色の山の端に日が落ちた。中心部の家や街灯に光が戻り始めていた。野田村を去る最後の夜だった。

 私は晴山さんの事務所を訪ねた。お別れの挨拶とお礼を言いたかったのだ。玄関先で失礼するつもりだった。

 「まあ、30分くらい上がっていきなさいよ」

事務所で寝泊まりする晴山さん親子(筆者撮影)

 茂美さんの言葉に甘えて少しだけ上がらせてもらった。茂樹さんがちょうど来ていた。

 コピー機や段ボールを押しのけ、空いた隙間に友人が支援物資として送ってくれたこたつを置いた。そうやって届けられた布団にくるまって眠る。事務所の小さなコンロで、茂樹さんがカボチャを煮た。私も勧められた。一口もらった。うまい。

 「・・・ああ・・・きょうも1日、暮れたなあ・・・」

 父茂美さんがひとりごちた。

 色のにじんだ旧式のテレビから、SMAPやトータス松本が「日本の力を、信じている」と叫んでいる。

 「節電にご協力ください」

 「無駄な通話やメールは控えましょう」

 父子は黙って画面を見つめている。