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(篠原 信:農業研究者)

 ケンカ腰の討論の場面では、よく「対案を出せ!」という言葉が登場する。そして対案を述べてみると「そんなのは対案と言えない、非現実的だ、理想論だ、そんなことをやってもうまくいくはずがない」とこきおろし、自分の提案こそが現実的で実現性の高い案だ、と信じてやまない人が、日本でかなり増殖中のように思う。

 かくいう筆者も以前は、対案もなしに批判するだけの人に苦虫噛み潰していた方だから、最初は「対案を出すことは重要」と考え、歓迎していた面がある。しかし、対案を述べても、自分と異なる意見は全否定し、ダメ出しばかりする人がどうも多くて、少々辟易してきたところだ。

現状追認型の人がかかりやすい「対案を出せ」病

「対案を出せ」病は、現状追認型の人がかかりやすいようだ。

 現状を追認する、あるいは少し改善するだけだから、実現可能性は当然高い(というか、すでに実現していたりする)。だから、自分の意見以外は「非現実的で実現可能性が低い」とこき下ろしやすい。

 だが、現状追認型は、状況を改善する気があまりないとも言える。なるほど討論では強いが、要するに現状追認しているだけ、あるいは現状の延長線上でしかない案なのだから、現実は代わり映えしないという課題がある。

 対案は、現時点では実現するかどうかはっきりしなくても、実行可能性(うまくいくかどうかは別として、試してみることは容易にできる)が高いのならば、対案として認めるべきだと考えている。もしそれがうまくいけば、既存の方法では解決できなかった問題が大幅に改善されるかもしれないのだから。