中国・北京の天安門広場

(筆坂 秀世:元参議院議員、政治評論家)

 1989年6月3日深夜から4日未明にかけて、民主化を求めて北京の天安門前広場に集まった10万人とも言われる学生、市民に対して、中国共産党が軍隊を出動させて無差別に発砲するという暴虐行為を行なった。いわゆる天安門事件である。今年はそれから30年となる節目の年である。

 日本ではこの事件の1カ月後の1989年7月に参院選挙が行われることが決まっており、日本共産党も火の粉を払うために必死だったことをよく覚えている。日本共産党は、その日のうちに中央委員会声明を発表し、(1)人民を守るべき社会主義国の軍隊が人民大衆に銃口を向けるなど、黙過できない暴挙である。(2)学生・市民の運動は非暴力の形態をとり、「動乱」などではない。(3)中国の党・政府の指導部が社会主義的民主主義を踏みにじったものである、という批判を行った。

 この事件のきっかけとなったのは、同年4月に胡耀邦前総書記が死去したことであった。当時、胡耀邦は民主化を進める代表人物と見なされていたが、鄧小平の不興を買い失脚させられていた。学生らは、胡耀邦の公正な評価、指導者の資産公開、報道の自由と検閲の中止、デモ禁止条例の廃止などを求めて、座り込みを開始したことが始まりであった。

独裁政権は必ず崩壊する

 ではその中国は、現在どうなっているのか。

 5月29日付産経新聞に、当時、学生のリーダーの1人として民主化運動を主導し、現在は米国に亡命している王丹氏のインタビューが掲載されている。王氏は、「中国の人権状況は、天安門事件前よりはるかに悪化している。当時、私たちはある程度の言論の自由があったが、今は完全な監視社会になった」と厳しく批判している。