田原 ところが彼は竹島に行きましたね。

武藤 私が韓国に大使として赴任した2010年8月というのは、李明博大統領の時期で、ちょうど日本が韓国を併合して100周年目にあたる月で、反日運動が活発化する恐れがある時だったんです。日本を発つ前には、「なぜこんなタイミングなんだ。こんな面倒事が起きそうなんだから、前任者が対処して、落ち着いてからの交代にしてくれればいいのに」と思っていた。だから、ソウルの空港に着いたら、現地の記者に質問攻めにさせるだろうと思って、あれこれ準備して向かったんですよ。案の定、空港に着いたら、結構な数の人が待っていたんですね。

 ところが私が近づいていっても誰もこちらに寄ってこようとしない。実は彼らは訪韓する日本のアイドルグループの「追っかけ」だったんです。私は全く相手にされませんでした。

 ただ、その時に思いました。「これで100周年は大丈夫だな」と。李明博さんの「日韓関係を良好にしていこう」という意欲の一端が、この場面から伺えたんです。

 ところが、この100周年の直後、日本の歴史教科書で竹島問題の扱いが強化されたわけです。

竹島問題でミスしたからこそ「竹島上陸」を断行

田原 李明博さんとしては、仲良くやっていこうと思っていたのに、急にバッサリやられた感じになったわけ?

武藤 実はその2年前の2008年、洞爺湖サミットで李明博さんは大統領として日本を初訪問しました。その時に福田総理と会って、「これから教科書を改訂して、竹島問題の扱いが大きくなりますよ」と伝えられているんです。私が漏れ聞いたところによると、福田総理のその話に李明博さんは「絶対にダメ」という言い方ではなく、「ちょっと待ってください」という感じの曖昧な反応だったそうなんです。

 その後、日本の教科書で竹島問題が大きく扱われることになると、李明博さんは国内でずいぶん反発食らったんです。だから彼の胸の中で、「竹島の問題で自分は失敗した」っていう気持ちがあったはずなんです。

田原 李明博さんの時代には、韓国の裁判所が「慰安婦問題の解決に向けて日本政府と交渉しないという韓国政府の行政不作為は憲法違反だ」という判決もありましたね。

武藤 あれには李明博さんも困っちゃったはずです。

田原 要は、「韓国政府は怠けている」と裁判所から言われちゃったわけですよね

武藤 そうです。それで李明博大統領は、2011年12月、京都で野田佳彦総理との首脳会談が行われたときに、野田総理に対して「慰安婦に対して優しい言葉をかけてくれ」ということをしきりに要求してきたのですが、野田総理はそれをはね付けた。

田原 へぇ、なんで野田さんは断ったんだろう?

武藤 野田さんは政治信条的には意外に「右寄り」ですから。

田原 そうですか。

韓国大統領、「慰安婦問題の解決に勇気を」 日韓首脳会談

京都迎賓館で、日韓首脳会談に向かう野田佳彦首相(左)と李明博韓国大統領(2011年12月18日撮影)。(c)AFP/Yoshikazu TSUNO〔AFPBB News

武藤 この時、野田総理は李明博氏に対して「知恵を絞っていきたい」という言い方をした。これで李明博さんは怒ってしまったんです。「俺が『慰安婦に優しい言葉をかけてくれ』とあんなに頼んだのに、なんだ」と。この一件に加えて、「自分は竹島の問題でミスしてしまった」という負い目もあったものから、翌年の8月、終戦記念日の直前、大統領として初めて竹島に上陸するという行動に出たわけです。

田原 李明博さん側から見れば、そういう前段階があったんですね。

武藤 あの時、お兄さんの李相得さんが李明博さんのそばにいたら止めてくれたと思いますが、当時、お兄さんはあっせん収賄の疑いで逮捕されていたんですね。

 実はあの時、「李明博大統領が竹島に行く」という噂が事前に流れていたんです。そこで私は「大統領が竹島に行ったら日韓関係が大変なことになる。絶対に止めさせてくれ」と、韓国の外務大臣とか青瓦台の首席秘書官にしつこく伝えていたんですよ。

 そうしたらある日、「明日行く」という話が伝わってきた。竹島上陸には同行記者団がいるので、その記者団募集の筋から漏れてきたんです。

 私は事実を確認するため、大使館の筆頭公使に、韓国外交部の局長に照会させたら、局長は李明博氏の竹島行きを知らなかったんですよ。しかたがないから、私は大臣や青瓦台の首席秘書官など、主だった人に電話をかけまくったんですけど、みんな居留守を使って、携帯にも出なくなったんです。

 もう最後の手段ですが、東京に連絡して、外務省の事務次官から東京にいる韓国大使に、大統領の「竹島行き中止」を要請してもらったんですが、その努力は報われませんでした。

田原 あの竹島行きは、大統領周辺のごくごく少人数で決め、さっと実行しちゃったんです。

武藤 その対抗措置として、駐韓日本大使だった私は一時帰国を命じられるハメになりました。

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