田原 金大中さんは、大統領になる前に、日本で韓国のKCIAに捕まって殺されかけましたね。

武藤 当時の朴正煕大統領を脅かす存在になっていた金大中氏は、日本滞在中に都内のホテルで拉致され、神戸港から船に乗せられ、韓国に向かっていた。この時、殺されていても不思議ではなかったはずです。金大中氏が言うには、簀巻きにされて海に放り出されそうになった時に、ヘリコプターが飛んで来て、船の上空を旋回した。これが威嚇になったので、拉致の実行犯は自分を放り出すのを止めてくれたと。

 このとき飛んできたのは自衛隊機だったとか海上保安庁のヘリだったとか言われています。

日本に感謝していた金大中氏

田原 実は、アメリカのヘリだったという説もありますね。

武藤 そうですね。私も日本のヘリではないんじゃないかと見ています。私は外務省の北東アジア課長をしていたので過去の資料にも目を通していますが、金大中拉致事件で自衛隊や海上保安庁のヘリが出動したという記録を見た記憶はないです。

田原 僕はある筋から、「あれはアメリカだった」と聞いたことがあります。

金大中事件に国家関与を認める、韓国の真相究明委

2007年10月、南北首脳会談での訪朝を控えた盧武鉉韓国大統領(当時)、李在禎統一相(同)と会談する金大中氏(右、2007年8月11日撮影)(c)AFP/CHOI WON-SUK〔AFPBB News

武藤 ただ金大中氏は、この一件で日本に非常に感謝してくれていたのは事実です。彼は日本を嫌いじゃなかった。

 大統領になる前の彼は、ソウルの日本大使館に勤務していた私に対して「もし自分が大統領になったら、日本の文化を韓国の国内市場に開放する」と言っていました。そんなことを口にするのは当時の韓国では絶対にタブーでした。ただ外交官である私なら、本音を言ってもあちこちで吹聴されることはないだろうということで打ち明けてくれたのだと思っていました。

 その後、彼に「ソウルにある日本商工会に来てスピーチをしてくれないか」と頼んだところ、快く来てくれたんですよ。そこでも彼は、「大統領になったら日本文化を開放する」って言ったんですね。

 これには驚きました。そんなことを多くの人がいる場で言ったら、あちこちに知れ渡る可能性がある。そうすれば彼の立場だって危うくなる。ところが彼は全然平気な顔をしているんです。そして、大統領になった後、それを実際にやってのけたわけです。ものすごい勇気と信念を持った人でした。

 彼は、日韓関係の緊密化を自分の手でやるんだという信念を持っていた。そのときの相手が小渕総理でしょう。2人のケミストリーがぴったり合ったのでしょうね。

 その後、金大中氏の次の大統領となった盧武鉉氏も、最初は日韓関係をうまくやりたいと思っていました。ただ、やっぱり当時の小泉総理の靖国参拝や、さまざまな日本の政治家の言動を見ているうちに次第に日本に反感を強めていった。それで日本に厳しい言動をするようになっていきました。

田原 盧武鉉さんお次の李明博さんには、彼がまだソウルの市長の時に会ったことがあります。彼もその時には、「日韓はこれから仲良くして、上手くやっていかなければ」と言っていました。

武藤 彼のお兄さんは、李相得(イ・サンドゥク)さんという、議員連盟の韓国側の会長だった人なんです。そのお兄さんは、韓国の企業に、「これから世界で資源開発やインフラ開発するんだったら日本企業と協力しろ」と説いていた人なんです。日本企業と協力せずに資源開発をしている韓国に対して「なぜ日本と協力しないんだ」と詰め寄るくらいの人でした。もちろんそれは、李明博大統領の意を体するものだと思います。そうしたことで、李明博さんが大統領になった当初の日韓関係もすごくよかったんですよ。