すると店員が「警察に連絡したら」とアドバイスしてくれた。「警察? 盗難というわけではないのに力になってくれるだろうか」友人は半信半疑で連絡した。

 そして30分後、「見つかった」という連絡が警察から届いた。さらに2時間後、店の前にさっき乗ったタクシーが止まり、運転手が降りてきた。「いやー、荷物をトランクに入れたことをすっかり忘れてたね。はい、どうぞ」友人の旅行カバンを差し出した。

「ありがとう、助かったよ」友人は運転手と店員に何度もお礼を言ったという。そしてふと考えた。「なぜタクシーを特定できたんだ?」

街頭カメラからタクシーを特定

 その答えはこうだ。連絡を受けた警察は、その付近にある街頭カメラの映像で、該当時刻のものを調べた。すると、確かにそれっぽい服装の2人がタクシーから降りるところが映っていた。同時に、そのタクシーのナンバーと会社名が判明。運転手に連絡を取り、夫妻が降りた場所に向かわせた、という経緯だ。

 それらの作業は人手でやったように思われるが、AIの力を借りている可能性もある。「最近の中国は、デジタルデータをこれだけの素早さで利用できるようになっているのか、と驚いた。しかも個人的なことで警察が動いてくれるとは」と友人は言う。

 この話をどう捉えればいいのか。「これだけ親切に対応してもらえた」という“いい話”にも思えるし、「これだけ細かいところまで監視されている」と受け止めることもできる。中国の街を行き来する人は、その一挙手一投足をすべて撮影され、行動を捕捉されているということだ。

 これは単に「中国ではこうなっている」ということではない。日本国内でもカメラはかなりの数が設置されている。では、今回の話のような利用方法を日本でも望むのか。

 今回、友人から中国での騒動の顛末を聞いて、中国におけるデジタル活用の先進性を改めて認識したと同時に、背筋に冷たいものが走ったのも事実だ。

 データは誰がどのように管理し、利用し、運用しているのか。一方で、せっかく蓄積しているデータをもっと有効に利用する方法はないのか。利用者としてどこまでの利用なら許容できるのか。これらのことについては運営者任せではなく、個人個人が危険性と利便性のバランスを見極めて利用したり対処したりしていく必要があるだろう。