新元号は「令和」、出典は万葉集

首相官邸で記者会見し、新元号についての談話の発表を終えた安倍晋三首相(2019年4月1日撮影)。(c)AFP / Kazuhiro NOGI〔AFPBB News

(舛添要一:国際政治学者)

 4月1日に新元号が「令和」と決まり、新年度の最初の週はこの話題で日本列島が持ちきりとなった。桜の開花の季節とあって、外国人観光客も多く、このニュースは世界中に発信されて様々な反響を呼んでいる。

 5月には新天皇が即位され、令和の時代が始まる。慶事である。しかし、今回の新元号をめぐるお祭り騒ぎの背景に議論すべき問題点が幾つかある。総ての政治的決定が完璧であるはずはないが、お祝い事であることを理由に、あたかも臭いものに蓋をするような姿勢は好ましくない。

元号には政権のカラーを反映させるべきではない

 まず、憲法で定められた象徴天皇制との関係である。国民の間に象徴天皇制が定着しているが、それは天皇陛下の日々のご努力によるところが大きい。

 天皇陛下は、「長い歴史を通じて政治から離れた立場において、苦しみあるいは喜びに国民と心を一つにして、国民の福祉と幸福を念ずるというのが日本の伝統的天皇の姿でした。日本国憲法は『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴』であると定めています。天皇は国政に関与せず、内閣の助言と承認によって憲法に定められた国事行為を行う、と規定しているのは、このような伝統に通じてのものであります」(平成5年8月27日、イタリア国・ベルギー国・ドイツ国ご訪問事前招待記者からの質問に対する文書回答から)と明確に述べられている。

 今回の新元号の決定についても、天皇陛下や皇太子殿下は、「政治から離れた立場」を堅持され、一切口を挟まれなかった。元号は政府が責任をもって決めるべきことであり、安倍内閣もそれを実行したと思う。