【AFP記者コラム】先祖の声が聞こえる─私が見た東日本大震災

東日本大震災で津波に襲われた海岸線。(c)AFP/Kazuhiro Nogi〔AFPBB News

 福島第一原子力発電所の事故から7年が経ったが、福島県では現在も5万人以上が避難生活を続けている。

 今回の災害では様々な避難指示が発令された。

 例えば南相馬市は、2011年3月15日に発令された避難指示によって、警戒区域(原発から20キロ圏内)、屋内退避区域(原発から20~30キロ圏)、それ以外の地域(原発から30キロ以上離れた地域)の3種類に分けられた。

 これらの避難指示は住民の放射線被曝を防ぐため、空間放射線量・原発からの距離を元に設定されたものだ。

実は大量の自主避難者が発生していた

 しかし、私たちが行った調査では、避難指示の意図に反して大量の自主避難者がいたことが明らかになった。

 屋内退避区域の住民の87%(35178/40773)、原発から30キロ以上離れ避難指示が出ていない地域の住民の87%(9622/10955)が避難を経験していた。

 この推計は坪倉正治医師らが南相馬市で行っている内部被曝調査での問診表を基に、震災直後の南相馬市民の避難状況について調べたものだ。

 なお全文は、米科学誌PLOS ONE(プロスワン*1)に掲載されている。

 本調査は、南相馬市の事故直後の人口動態について明らかにし、今後の原子力災害対策への検討を行うことを目的として行われた。

 調査結果からは、屋内退避指示が招いた大混乱が窺える。