現実を「観察」しなければ何も始まらない。

 ビジネスの世界では、PDCAサイクルという言葉が流行しているようだ。

 PLAN(計画)、DO(実行)、CHECK(評価)、ACT(改善)を繰り返して、どんどんビジネスのあり方を改良していくのだという。

 研究者の私としては「これは科学の方法と似ているので、なかなかよい方法なのではないか」と最初は思っていた。しかし「待てよ」と最近になって気がついた。PDCAは、運用の仕方を誤ると、とんでもないことになる。ある重要なステップが、PDCAサイクルでは欠落しがちだからだ。

PDCAサイクルと「裸の王様」

 PDCAサイクルのまずさは、国の政策を見ると分かりやすい。政治家か官僚が「素晴らしい(思いつきの)アイデア」を政策という形にしたものは数多い(どこの国とは言わない)。これはちょうど、PLAN(計画)に相当する。

 しかし、現実を丹念に調べずに思いつきで始めた政策は、うまくいかないことが多い。では、うまくいかなかったからCHECK(評価)がきちんと行われるかと言うと、そうはいかない。政策を掲げた政治家や大物官僚の顔をつぶさないよう、甘い評価がなされることが多い。ACT(改善)をあんまり真剣に行うと「政策がいけなかったというのか?!」と批判しているかのように取られてしまう恐れがあるので、それもろくに行われない。

 その結果、「政策は大成功のうちに終わった」というストーリーを維持したまま、静かにその政策をお蔵入りにする。それを反省材料にすると政治家や官僚の顔をつぶすことになりかねないので、将来に生かすこともできない。「大成功のうちに終わった」というストーリーを崩してはいけないのだ。

 こうした話は政治だけの話ではない。大企業でもよくあることのようだ。カリスマ社長が唱えたプランに基づいて大改革を行い、その結果、企業体質が悪い方向に変質したとしても、その社長に発信力があり、部下の自由な発言を封じ込める力がある場合は、「計画は非常にうまくいった」ことにする。とてもまずいデータが出てきても「見なかったことにする」。