11月半ば、「シビックの歴史に幕。国内販売終了へ」というニュースが流れた。

 私としては、そうと聞いて思うことは少なくなく、まず前回は、1972年に発売された初代「シビック」は単なる「製品」ではなく、当時のホンダ人の思いと創造性の全てが結晶となった工業的創造物だったということを述べた。

 だが、「初代」に注がれた知的エネルギーの大きさと、そして成功は、その後に続くモデルのコンセプトづくりを、そして技術開発が難しくなることも意味していた。ここから今日に至るホンダのモデルチェンジサイクルの「波」、つまり「秀作、成功作が2世代続かない」というセオリー(?)が生まれてきてしまう。

停滞した2代目、「MM思想」を標榜した3代目

 2代目シビックは、言うならば初代の「正常進化」であった。初代が生み出し、日本だけでなく欧米にも浸透しつつあった「シビック」のイメージは継承したい。むしろ洗練しつつ、車格も、空間も、走りも、もう少し余裕を加えよう。そう考えたのはよく分かる。

 しかし、変化(進化)の速いあの時代の中で、7年を経過したコンセプトとパッケージングをわずかに拡大しただけで、基本技術に大きな進化はなく、スタイリングも「造形の手が縮んだ」印象とあっては、停滞を感じさせても仕方なかった。

 一方で、ホンダのクルマづくり全体が「底上げ」され、4輪車でも海外生産(まずは北米)を立ち上げるなど、企業としての幅と奥行きを確実に広げていた時期ではあったのだが。

 もちろんホンダの人々自身が、シビックの停滞感を最も強く意識していて、何とかしなきゃ、と考え続けていた。それがはっきり伝わったのは、3代目が現れた、まさにその時だった。

3代目「ワンダー・シビック」のイメージリーダーともなった低いシルエット、ロングルーフの3ドア・ハッチバック。今日に至る日本、欧州のシビックの商品イメージを作ったモデルでもある。(写真:ホンダ、以下同)

 この3代目の市場投入にあたって掲げたキャッチコピーは「ワンダー・シビック」。「驚くべき」と造り手側から言ってのけたのである。

 その開発テーマとして語られたフレーズが「MM思想」、すなわち「マン・マキシマム、メカ・ミニマム」。「乗る人のための空間は最大に。走らせるためのメカニズムが占める空間は最小に」

 このMM思想は、乗用車という工業製品の基本理念をそのまま別の言葉で語った、まったく当たり前のことでしかない。しかし、移動空間を形作る時の基本思想を、あるべき道筋を、明確に言葉にしたことに、つくり手側の思いの強さが表われていた。

 そして「シビック」という1つのシリーズでありながら、3ドア・ハッチバックはパーソナルな使い方とスポーティーな走りを主眼に置いて、低く、ルーフを後ろまでいっぱいに引いたパッケージングに。4ドア・セダンは乗用車のメインストリームとなるべく、キャビンを少し高くして、人間の着座姿勢も起こした。