強国の英国から資金援助を受け、欧州大陸内での領土問題を機に「神聖ローマ帝国」「フランス」そして「ロシア」という大国連合に戦いを挑まれた、後発の小国プロイセン。

 プロイセン王フリードリヒ2世は先手必勝とばかりに「真珠湾攻撃」ばりの奇襲をかける戦略に出た。

 攻めた相手は銀山とコバルトで知られ、古都ドレスデンを要するザクセン。ベルリンを本拠とする北のプロイセンはオーストリアとの戦いに向け、中間に隣接するザクセンに専制攻撃を仕かけたのだ。

実はドイツ・ハノーファー王の英国王室

ロボジッツの戦いにおけるプロイセン騎兵(ウィキペディア

 既に「オーストリア継承戦争」でチェコ・ポーランド国境地
帯「シュレージエン」地域を占領していたプロイセンだったが、1756年10月、フリードリヒ2世ははザクセン・オーストリア連合軍を先制攻撃によって撃破する。

 ロボジッツの戦いと呼ばれる記念碑的な勝利だった。「七年戦争」の勃発である。

 欧州大連合軍は人口にして8000万余、それに対してプロイセンはわずか400万程度の人口で、巨象と蟻の戦いのような七年戦争は、戦略の才に富む小国プロイセンが幸先のいいスタートを切った。

 だが、しょせんは小国のこと、奇襲はいつまでもうまくいかない。そのまま南進を続けたプロイセンはチェコのプラハを包囲するが、オーストリア軍に撃破されてしまう。

 さらに西からはフランス軍が応援に駆けつけ、プロイセンは窮地に立たされることとなる。

 欧州でのプロイセンの味方は唯一つ、フランスと距離が近いハノーファーだけだった。だがこれには明確な背景がある。ドイツのハノーファーは英国と一体の国家だからだ。

 現在の英国国王、エリザベス女王を含め、英国の「ウインザー王家」がドイツ人の出自を持つことは比較的よく知られた事実だろう。そしてこのウインザー王家はハノーファー選帝侯家そのものにほかならないのだ。

 ウインザー王家のジョージ3世(1738-1820)はハノーファー王ゲオルグ3世その人でもあった。このジョージの孫がヴィクトリア女王、ヴィクトリアの4代目の子孫が現在のエリザベス女王になる。

 英国というとアングロ・サクソンとすぐに言うけれど、近代以降一貫してドイツの血の濃いゲルマン人が治めているという事実は、改めて認識しておく価値がある。