心の底にある“ケガレ”は、どうやったら祓えるのか。

 作家の井沢元彦氏の指摘で興味深いものがある。日本人の誰もが信じている宗教は“ケガレ”だと。

 たとえば、どれだけ高級な塗り箸であろうと「これは俺が10年来愛用してきたものだ。記念にこれをやろう」と言われても、使う気はしないだろう。そのオッサンの唾液がベットリついているイメージがつきまとうからだ。

 塗り箸は、きれいに洗えばもちろん唾液が残るはずがない。科学的に見れば衛生的な箸でも、その箸先に唾液が付着したイメージを払うことは難しかろう。これが日本人に特徴的な感性、ケガレだ。

豊洲市場とケガレ

 豊洲市場の移転問題も、このケガレ思想から見ると理解ができる。

 私も、豊洲市場で魚を取り扱うことは、科学的には特に問題ないと考えている。汚染が残る地下水を利用するわけでもないし。だから安全なだけでなく、安心してもよい。しかし基準値の100倍ものベンゼンが検出されたということで、移転が進まなくなっている。なぜか。ケガレてしまったと感じるからだ。

「うちのジュースのタンクには1万トンあたり1本の陰毛が確実に混じります。除去していますから安心ですし、そもそも陰毛が健康に害でないことは科学的にも明らかです」と明言されて、そのジュースを飲む気がするだろうか? 安全で安心なのに。飲む気がしないのは、ケガレをそこに感じてしまうからだ。