さて、必須アミノ酸は体内で作り出すことが(あまり)できません。(ヒスチジンなどは作れなくないけれど、乳幼児など成長のため大量に需要がある場合は体外から摂取する必要がある)。
でも時に、私たちは必要な食料を十分に取ることができない場合があります。雪山で遭難して3日3晩飲まず食わずだった。ダイエットで無理をして身体を壊した。北朝鮮の政治のような愚かな判断のため食料供給が十全でなく民衆が飢餓状態に置かれてしまった・・・。
このようなリスクに遭遇したとき「すでに摂取している必須部品のスクラップ&ビルド」という「もう1つの死と再生」の形がある・・・。
そういう、超大物級の基礎生理学上の発見を、たった1人の日本人が、営々と気を吐きながらゼロから積み上げていった。
オートファジーの発見というのは、実はそのような意味、つまり科学的、専門的あるいは応用面から考えるというだけでなく、生命のメカニズムの本質に照らして、真剣な再検討を迫る問いを私たち人類に突きつけていると思います。
この詳細に踏み込むのは次回に回すとして、今回は最後に1点だけ。
オートファジーの研究は「何の役に立つか?」という、何も頭を働かせないマスコミ記者の何の役にも立たない質問に対して、大隅先生は「何の役にも立たなくてもいいんじゃないですか?」という大人の答えをお返しになっているようです。
実は、こんな質問をする人に何か答えても、それ自身が何の役にも立たないのが明らかであるし、分かる人はこんな質問をせずとも、こうした基礎生理の本質から、いくらでも役に立つ叡智を導き出すことができるでしょう。
オートファジーはいったい何の役に立つか・・・?
それは、貴方の生命を維持存続させるうえで、今日1日だけでも無数に役立てられ、貴方自身がいま現在、生きながらえることができている。
オートファジーの取材に来ていながら、それが分からないとすれば、何も調べず何も考えずに足だけ運んでいるということなのだから、それ相応にあしらっておけばよいということだと思います。
液胞(vacuole)というパーツは大半の細胞の中で観察されますが、かつては老廃物などをため込んでおくだけのゴミ箱みたいな代物とみなされ、多くの注意を惹かず軽視されていました。
「液胞」は地味で、基礎的で、またその分本質的な脇役的存在であったわけです。
「液胞」の働きは必ずしも、三大成人病の特効薬に直結するとか、製薬会社が巨額の補助金を提示してくれるとか、おかしな情報を発信すると未公開株の価格が操作できるとか、およそそういう話とは無縁の存在でもある。
この地味でお金にもならず、大半の人が見向きもしなかった液胞から「自分自身のパーツを分解して再利用する、驚くべき『第3の死』細胞の自食作用」を解明された大隅先生のお仕事を、次回もう少し踏み込んで考えてみたいと思います。
(つづく)