「カワイイ」ファッションは「無力さ」の象徴か、自己表現か

「カワイイ」ファッションは「無力さ」の象徴か、自己表現か。東京ファッションウィークで発表された2016年春夏コレクション(2015年10月15日撮影)(c)AFP/Toru YAMANAKA〔AFPBB News

 テレビの番組で、女子中高生に絶大な人気を誇るというモデルを見た。

 そのモデルのファッションを多くの女子中高生が真似しているという。そのモデルが服を買いに行くという取材で、彼女は「マネキンのコーディネートのまま服を着ている」と話していた。僕は驚いた。

 モデル自身のオリジナリティーのかけらもないファッションが女子中高生の間で流行していることもそうだけれど、何よりも、そのモデルが「自分はマネキンの通りに服を買っている」と平然と発言していたこと自体に驚かされた。

 モデルなのにそれでよいのか・・・? 僕は番組を見ながらずっと頭の中に疑問符が浮かんだままだった。

 世間に迎合せず自分なりの価値観を持つ、つまり「非属」として生きていくことは、なかなか難しい。でも、絶えず世間の価値観に疑問を持ち、多数派の論理に立ち止まって考えようと、僕は常に意識しているつもりだ。常識に頼った「思考停止状態」に陥ることに、恐怖を感じてしまう。

 「みんな」の「ふつう」から抜け出し、自分なりの価値観を持つ上でヒントになる3冊を紹介したい。

才能はどこにも属せない

 山田玲司『非属の才能』(光文社新書)

 「『人生に悩みなんてない』っていう人は、読まんでよろしい」

『非属の才能』(山田玲司著、光文社新書、700円、税別)

 昔、僕がこの本にPOPでつけた言葉だ。本当に特に悩みがないという方は、この本を読む必要はないし、僕のこの文を読む必要もないだろう。

 「非属」という言葉は、著者の造語だ。『才能というのは、どこにも属せないという感覚の中にこそある』と考え、その『どこにも属せない』という感覚を『非属』と表現している。著者は、数々の著名人にインタビューするという経験の中でこの『非属』という概念を思いつき、自分自身の経験やこれまで出会ってきた人々との関わりの中で、『非属』の重要性や扱い方、子育てにおける「非属の才能」の伸ばし方などについて書いていく。

 学校に1人も友人がいなかったという大槻ケンヂや、爆笑問題の太田光、高校3年間で5分しか喋らなかったというほっしゃん、15歳にして女性と付き合う可能性を100%諦め研究に没頭した荒俣宏、小学校のクリスマス会を「自主参加でいいですよね」と言って堂々とサボった井上雄彦。