今日もジャカルタを経て、バンコクから帰国する道すがら本稿を書いています。この1カ月ほどの間に、私たちは3つの大きな力が世界を動かしていることに改めて気付かされました。
9月3日、北京の軍事パレードで誇示された精密な弾道ミサイル群、中国市場の乱高下に始まる世界経済の陰りと習近平国家主席の訪米がもたらした合意。一方で、3歳のシリア難民の子供の溺死とローマ法王フランシスコの訪米で示された普遍的な価値の重さ。
これらの数々の世界の出来事を貫くものは一体何なのでしょうか。
それらは、「力の論理」「利益の論理」、そして「価値の論理」という3つの力の相関関係にあると喝破するならば、多少なりとも分かりやすいのではないでしょうか。
本稿では、こうした3つの世界を動かす論理=力について掘り下げて考えたいと思います。なぜなら、そのいずれに対しても繊細な配慮と適切な備えを怠るならば、私たちはあっという間に国際社会の舞台から引きずり降ろされることになるからです。
それほどまでに、現代の国際社会においては、これまでにないほどの思慮深さが必要とされています。このことに気づかない国家の指導者や国民は、国際社会の非難を受けるか、やがて他のパワーに打ちのめされることになるでしょう。
「力の論理」を示した北京での軍事パレード
「9月3日に行われた中国の抗日70周年記念軍事パレードの最大の意味合いは、中距離弾道ミサイルDF-26の登場にある」と書けば、言い過ぎでしょうか。
この軍事パレードの観覧に朴韓国大統領が駆けつけたとか、潘基文国連事務総長が国連を代表して参加したといった出来事は、このミサイルの登場に比べると、ずいぶん小さなことのように思えるのです。
残念ながら、日本の大手の新聞やメディアは、DF-26の有する意味合いをうまく説明できていないようです。なにしろ、多くのメディアで軍事パレードの写真として、すでによく知られているDF-21D ばかりが取り上げられたことを見ても、世間の理解は、世界の中国軍事ウォッチャーと比べると、一回りも二回りも遅れているようです。