中東の危険な地域に自ら赴き、その結果テロリストに誘拐され被害に逢った人たちについて「自己責任」という言葉を使う論議が取りざたされています。
ある調査によれば83%の人が「自己責任」と言っているという。目を疑いましたが実際そのように印字されていました。これはいったいどういうことか、考えて見なければ、と思った次第です。
「湯水と情報はただ」の意識?
身の危険を顧みず、戦闘地域に入って取材する従軍記者、カメラマンなどの職業があります。彼らは自己の判断においてそうした仕事に就き、私たちが行くことのできない危険な地域の1次情報をもたらしてくれます。
それらの情報は、様々な判断を下すうえで時に決定的な意味を持ちます。情報であれば報道ですが、諜報であればスパイ、捕まれば命はありません。
そういう仕事は「自己責任」で行われるものなのでしょうか?
私たち情報を得る側は、徒手して平和な日本にとどまりつつ、日本語ベースで中東の凄まじい状況を手に取るように知りながら、いざ何かあると「自己責任」でことを済ませてしまうのか?
日本語には「湯水のように」という表現がありますが、情報は湯水と同様無料なのでしょうか?