中東の危険な地域に自ら赴き、その結果テロリストに誘拐され被害に逢った人たちについて「自己責任」という言葉を使う論議が取りざたされています。

 ある調査によれば83%の人が「自己責任」と言っているという。目を疑いましたが実際そのように印字されていました。これはいったいどういうことか、考えて見なければ、と思った次第です。

「湯水と情報はただ」の意識?

イスラム国、「日本にとって悪夢の始まり」 後藤さん殺害動画

都内で開かれた催しで中東情勢について語る後藤健二さん(2014年3月4日撮影、2015年1月21日国際援助団体提供)〔AFPBB News

 身の危険を顧みず、戦闘地域に入って取材する従軍記者、カメラマンなどの職業があります。彼らは自己の判断においてそうした仕事に就き、私たちが行くことのできない危険な地域の1次情報をもたらしてくれます。

 それらの情報は、様々な判断を下すうえで時に決定的な意味を持ちます。情報であれば報道ですが、諜報であればスパイ、捕まれば命はありません。

 そういう仕事は「自己責任」で行われるものなのでしょうか?

 私たち情報を得る側は、徒手して平和な日本にとどまりつつ、日本語ベースで中東の凄まじい状況を手に取るように知りながら、いざ何かあると「自己責任」でことを済ませてしまうのか?

 日本語には「湯水のように」という表現がありますが、情報は湯水と同様無料なのでしょうか?