前回ベルリンからノーベル医学・生理学賞の業績について、思うところを静かにお送りしたのですが、翌日になって「日本人の」ノーベル物理学賞、国内は打って変わってお祭り騒ぎの様子です。化学賞まで出揃い、今年のサイエンス3賞の全貌が見えました。

 日本の報道の「日本人受賞」「日本人は受賞を逸す」といった無内容な報道、正直、何とかならないかと思います。知的発展途上国と自ら宣言しているようなもので、率直に恥ずかしい代物です。

 が、それで世間が反応し、受けるからとメディアもそれを続け、いつまでもそういうレベルにとどまる悪循環、そろそろ何とかしてもいいのではないかと思います。

 本年度のノーベル物理学賞は、すでに周知のように赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏が受賞しました。メディアは(前日「期待」が外れた?医学生理学賞のときとは打って変わって)「日本人への受賞」とお祭り騒ぎモードに一転している様子です。

 が、そもそも中村修二さんはすでに日本人ではなく「日系アメリカ人」としてノーベル委員会も名を挙げているし、国際世論もそのように、つまり今年はアメリカ人と日本人が物理学賞を分け合った、と見ている。

 小さなお国自慢ではなく、ここではもう少し違う観点から本年度ノーベル物理学賞を授与された業績関連で少しお話してみたいと思います。

評価の焦点は何か?

 まず第1に、ノーベル委員会が評価している「受賞理由」と、日本国内でお祭り騒ぎしているポイントとは、少しずれているような気がします。

 国内の報道を見るに「青い光を点した」とか「LED(発光ダイオード)で三原色が揃い、応用に圧倒的な可能性が開かれた、圧倒的な市場シェアといった「美点」が強調されたものも見ました。 が、ノーべル委員会は決してそんなことを受賞理由に挙げていません。

 委員会が評価しているのは「低消費電力の灯り」の開発による、地球全体規模での省電力への貢献です。

 普通の白熱灯であれば40日程度しか持たなかったものが、蛍光灯の発明は電球の寿命を400日ほどに延ばした。それがLEDによって4000日まで伸びた。

 今までたかだか1年前後の寿命であった蛍光灯の灯りが10年規模まで延長され、かつ消費電力は激減した。この低消費電力であれば、発展途上国の再生可能電力源も十分に支えることができる。