最近、「坂の上の雲」ブームや、歴史に関心を示し活動する女性を表現する所謂「歴女」の言葉も生まれ、戦国時代や日清、日露戦争等に関心を持つ人々が、性別を問わずあらゆる年代に多くなってきたように感じられる。

プロは兵站を語り、素人は戦略・戦術を語る

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兵站は軍用語で駅を表す。写真はドイツのハンブルク駅〔AFPBB News

 「兵站」という言葉は、軍事用語で「軍の中継点」「駅」を意味するものとされてきた。

 現在においては、企業活動の物流管理全般を意味するビジネス用語として広く用いられ、一般用語化しており、その重要性は多くの人々に認識されてきていると思われる。

 軍における兵站の目的は「部隊の戦闘力を維持増進し、作戦の遂行を可能にする」とされ、極めて重要な要素と言われてきた。

 また、戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略、戦術を語るとも言われているが、歴史上「兵站」を軽視したために大敗を喫した戦例は世界中に多く存在する。

 戦後65年間、武力衝突もなく平和を享受して現在に至っている日本は、果たして兵站についてどれだけ意識しているだろうか。もしその意識が薄くなっているとすれば危険である。

 そこで温故知新の精神にのっとり、近代国家を目指し、富国強兵を国家目標として日清、日露の2大戦争を勝ち抜いた明治時代の軍の活動のうち、陸軍の兵站にスポットを当てて歴史を振り返ってみたい。

明治の時代背景

 明治における陸軍の創設から日露戦争終了までの約40年間の時代背景は、次のようなものと思われる。

 江戸時代から営々と続いてきた徳川幕府の国家体制が崩壊し、明治政府ができたが、その国家基盤は不安定な状態であり、アジア地域で吹き荒れていた列国の植民地支配の脅威にさらされていた。

 このため早期に国内統一を図り、治安維持を成し遂げ、治安維持型の軍から列国並みの近代軍に脱皮させ、明確な国家目標「富国強兵」を旗印に、政府主導の国内産業の近代化により製鉄等の基幹産業を育成し、兵器弾薬の自力生産に向け歩み出した時代であった。

 明治当初から行われてきた、外国軍人や外国人技術者の指導を受けての兵器の製造設備建設や兵器の生産・修理の状況から早期に脱皮し、明治政府の「兵器の独立なくして、国家の独立なし」の指導の下、兵器弾薬の国産生産に邁進した時代であると考えられる。