本シリーズは、これで最終回。これまで様々な感想や批判をいただき大変ありがたかった。今回はまとめをしてみたいと思う。

自分の考えで提言できるようになれば、貴重な人材

 外資系を勧めた最大の理由は、「就社」ではなく「就職」することで、外部でも通用する得意分野を作り、自分の意思で自分の仕事人生を決めやすいからだ。

 好むと好まざるとにかかわらず、私たちは世界的な厳しい競争にさらされている。そして、世の中の変化は加速している。そんな中で、安全、安定を求めていれば、変化に置き去りにされる。短い期間であれば、会社組織という傘の下で保護されるが、長い一生を守ってもらうことは難しい。

 たとえ、自分が勤めている会社に定年まで在籍できたとしても、閑職に追いやられたり、評価されなかったりしたら、本来の能力を発揮できず、満足する仕事人生が送れない。

 何が分かれ道なのか。知識受け取り型の日本の教育を受け、会社では組織の論理が優先されれば、言われたことを着実に実行する人材がつくられていくのは自然なことだ。そして、自分の考え、主張、信念に基づく実行といった個人が失われていく。

 不確実性の高い世の中では、変わっていってしまう外部に基準を置いてはいけない。自分の中に価値観や人生設計の座標軸を持つべきだ。つまり、物事を判断する座標軸が自分の中にあるかどうかかが、大きな分かれ道となる。

 自分はこう考える、こうしたいと主張するという“何をすべきか”が示せる人材になること。そうすれば、会社においても貴重な人材となるし、自分の進む道もぶれずに決められる。

外資系は有力な選択肢

 同じ環境にいては、自分の座標軸なんて見つからない。学生時代に海外で数年間過ごしてみるのもいいし、組織に守られない環境で働いてみてもいい。外部に出て、外部から自分を見つめて、プレッシャーをかけて、初めて自分なりの考えができてくる。

 このシリーズでは、外資系を自分の意思で生きていく場として、象徴的に取り上げてきた。もちろん、道は1つではない。自分で起業してもいいし、日系で自分の考えを実現していってもいい。

 あえて外資系を取り上げたのは、社内外で通用する職能が身につくこと、英語や国際的なコミュニケーションを磨くチャンスが多いこと、起業するよりは労働者として守られていることからだ。

 外資系に勤めれば問題が解決するわけではない。外資系にいても、自分の進む道を自分で決めなかったり、英語で外国人と話すことを避けていては、何も得られない。また、自分の得意分野も伸ばしていかなければ、変化についていけない。結局は自分次第だ。

 もし、自分で自分の進む道を決めなかったらどうなるだろう。きっと、会社の人事部が配属を決めてしまうし、外部環境の変化に流されていってしまうだろう。自分の人生は自分で決めなくてはならない。さもなくば、誰か他人が決めてしまうのだ。