「焼く」は近代化によってどう変わったのか。

 日本の暮らしが近代を境に大きく変化したように、「焼く」もまた近代化の影響を最も大きく受けた調理法だったのではないか。そんな問題意識のもと、前編に続き「焼く」が近代以降どのように変遷したかを探っていこう。

 1929(昭和4)年に刊行された『おいしい秘訣家庭料理』(林たま子著、青葉書房)には、〈日常調理器具の大要〉と題して、ふだんの料理に必要な道具がずらりと列挙されている。それを見ると、近代以前から使われている道具と、近代以後に新しく使われるようになった道具とが入り交じり、新旧様々な道具を使い分けていた昭和の初めの台所の姿が浮かび上がってくる。

 その中から、「焼く」に関わる道具を拾ってみよう。

 〈餅金網…餅類をやくのに用ふ

  魚焼…生臭物をやくに用ふ

  鉄製鍋…フライパン大小二ケ、つかひ込む

  魚串…金串十本、竹串十本位、魚介鳥獣肉焼用、三本わたし一箇(こ)

  天火…火のせ天火は上七分、下三分の火加減、炭瓦斯(がす)電気用天火にて下火のみのものもあり

  テンパン…ブリキ製、天火の中に入れて物焼用

  七輪…電気、瓦斯、炭火用〉

 ここに挙げたものと、近代以前のものとを比べると、2つの大きな変化が起きていることが分かる。1つは、フライパンなどが採り入れられて被加熱調理器具(加熱される側の道具)に変化が起きていること、2つ目は、ガスや電気の登場によって熱源の選択肢が広がっていることだ。

「玉子焼鍋などにて代用」されていたフライパン

 まずは、被加熱調理器具の変化である。

 前編で述べたように、日本の「焼く」は炭火で竹串に刺したものを火であぶり熱を通す「直火焼き」が中心で、熱源との間に鉄板などを置く「間接焼き」や、オーブンのように熱した空気を利用する「蒸し焼き」はあまり行われてこなかった。そのいずれにも変化が起きている。