日本人の多くが、小学生の時に国語の教科書で童話「ごん狐」を読む。
作者は、昭和初期に活躍した童話作家・新美南吉。
物語は、南吉が村の茂平(もへい)というおじいさんから聞いた話とされる。
いたずら好きの小狐「ごん」は、村に住む兵十(ひょうじゅう)という男が捕ったウナギを逃がす。
その後、兵十の母が亡くなる。兵十は、どうやら病気の母にウナギを食べさせるつもりだったらしい。
ごんは後悔して、兵十の家にひそかに食べ物を持っていく。しかし兵十にごんの意図は通じず、かえって迷惑をかけたり、神様のおかげだと思われたりする。
しまいにごんは、栗を持って兵十の家に入ったところ、兵十に「またいたずらをしに来た」と思われて撃たれる。倒れたごんに近づく兵十は、土間に置かれた栗を見て、すべてを悟る。
なんとも悲しい話である。
しかし、『ごん狐はなぜ撃ち殺されたのか 新美南吉の小さな世界』を著した作家・編集者の畑中章宏さんは、今あらためて「ごん狐」をはじめ、新美南吉の諸作品を読み返すと、そこには多様なメッセージが込められていることに気づくという。
民俗学への関心から新美南吉を再発見
──今、なぜ「ごん狐」なのですか?
畑中氏(以下、敬称略) まず大きな前提としてあるのは、東日本大震災以降、私自身の民俗学への興味が増していた、ということです。震災について、歴史学や社会学、あるいは工学的な見地からの分析は盛んにされていましたが、日常文化を見つめる民俗学者は災害をどう見てきたのか、検証してみたいと思ったのが、きっかけです。
例えば、日本民俗学の開拓者・柳田國男の『遠野物語』を読み直すと、日本人は古くから、災害の記憶を妖怪や怪異現象に仮託して語り継いできたことが分かりました。それを『災害と妖怪──柳田国男と歩く日本の天変地異』(亜紀書房)という本にまとめました。
さらに過去の文学者の著作を参照するうちに、戦時中の1943(昭和18)年に29歳で夭逝した童話作家・新美南吉の名が視野に入ってきました。「北の賢治、南の南吉」という表現があるように、文学史的には、宮沢賢治と並び称されてきた作家です。