前回の連載 は「終戦の日」にリリースしましたが、多くの反響を頂き、とても感謝しています。
反響を頂いた大きな呼び水にラジオで取り上げて頂いたことがあります。文化放送、吉田照美「飛べ!サルバドール」で前回の論旨を、吉田照美さんに熱く語って頂きました。心からお礼申し上げます。
もちろん、大切に思って記した内容にご共鳴頂けたこと、大いに語っていただいたことにも深く感謝しています。と同時に「ラジオ」というメディアで「終戦の日」に直面したいと思った問題を考えるというそのこと自体に、とても深い意味があると思うのです。
何と言っても1945年8月15日の「終戦」は<玉音放送>によって国民に知らされました。また太平洋戦争の端緒を切ってしまった真珠湾攻撃の第一報も「臨時ニュースを申し上げます・・・」というラジオの声によって全国民に伝えられました。
開戦当初の日本軍の連戦連勝も、リアルタイムにはラジオ放送が、また少し遅れてニュース映画が(モノラル)音声と(主として白黒)動画で報道したものです。
さらに半年後の1942(昭和17)年6月5日の「ミッドウェー海戦」敗戦以降、日本軍は先制奇襲攻撃で握っていた太平洋戦争の主導権を失い、ジリ貧状態の連戦連敗、ついには沖縄敗戦、本土空襲そして広島、長崎への原爆投下まで、勝つ見込みのない戦争をいたずらに引き延ばし、最悪の結末で敗戦を迎えることになります。
この「ミッドウェー海戦」を勝利であるかのごとく報じるところから、大本営発表は嘘に嘘を重ね、その上にさらに嘘を塗りつけながら、勝算、つまり、
「勝ちのフィージビリティ」
勝利の実現可能性が全くない、その場しのぎと局所敗戦の責任逃れのドミノ倒しのような戦争指導部の愚策によって、傷を広げ最悪の結末を自ら招いた面があります。
勝算のない経営の「連敗」は許されない
この、勝算のない戦争での戦争指導部の最悪の愚策群、最もよく知られているのは各種の「特殊奇襲攻撃」と思います。
夏になるとしばしば、特攻関係の長時間テレビドラマが作られ、オンエアされるのを目にしますが、私には根本的な疑問があります。
帰還することのない出撃命令、それに準じて若い命を失った軍人、兵士たちの悲惨は言葉に尽くせません。が、そのような出撃命令もまた人間が下したものです。
こうした奇襲攻撃を立案した人々、それを推進した人々、彼らの責任を本来、ストレートに問わねばならないはずです。
企画立案者の中には、自らもまた特殊奇襲攻撃(やその準備訓練)で命を落とした人もいます。が、命永らえ、限局された戦争責任への訴求をクリアしたのち戦後の日本社会で活動した人もいないわけではないと聞きます。