代用品と呼ばないで、
今や定番品の「魚肉ソーセージ」

2013.05.10(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 いつだったか、スーパーで加工肉食品のコーナーを見ていて驚いた。ソーセージの置いてある一角を魚肉ソーセージが独占している。キャラクターをプリントした幼児向けのものから成人向けのものまで、どれもがカルシウム入りやDHA入りを謳っている。魚肉ソーセージは知らないうちに健康食品になっていた。

 私が小学生だった1980年代前半は、魚肉ソーセージは食品添加物が多い食べものとして敬遠される風潮にあった。それでもキャンプなどに行くと、日持ちがするせいか、よく保存食として配られていた記憶がある。

魚肉ソーセージ。透明フィルムを剥くと現れるつややかな魚肉。フィッシュソーセージとも。

 端をぎゅっと留めている金具の部分を噛んで、グルグルと回す。破れたところからオレンジ色のフィルムをぐいぐいと剥いて、薄いピンク色のつるんとした肉にかぶりつく。あの金具を噛むという行為がどうも苦手で、自分から進んで食べようという気にはならなかった。ソーセージと言いつつ、豚肉のソーセージとは味も食感も違うところもなんだか解せなかった。

 だから、魚肉ソーセージ事情にもさっぱり疎かったのだが、現在もこうして売り場の一角を占めているところを見ると、どうやら一定の支持層がいるらしい。

 確か、魚肉ソーセージはソーセージの代替品として生まれたはずだ。なのに、ソーセージが珍しくともなんともなくなったいまも商品としてちゃんと生き残っているということは、それなりの理由があるに違いない。その理由を探るべく、今回は魚肉ソーセージの歴史をたどってみよう。

ヒントは大量生産されるようになったカマボコ

 日本におけるハムやベーコン、ソーセージなどの食肉加工の歴史は、長崎で始まったとされている。

 最も古い記録としては1872(明治5)年、長崎市大浦の片岡伊右衛門がアメリカ人から骨付きハムの製法を伝授され、工場を建設して製造を開始したというものだ。1877(明治10)年の第1回内国勧業博覧会では、北海道の開拓使が鹿の「蝋腸」、つまり鹿肉を使ったソーセージを出品している。

 だが、ソーセージが本格的に作られるようになったのは、第1次世界大戦後のことだ。日本に収容されたドイツ人捕虜からハム、ソーセージの最新製造技術を学んだことをきっかけに、ハムやソーセージを専門に扱う店も登場するようになる。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。