世阿弥の言葉でよく知られた1つに「初心忘るべからず」というものがありますね。年度の初めでフレッシュマンが新しい環境に入っていくタイミングですが、この「初心忘るべからず」は、新人のみならずいろいろな世代、いろいろな年配の人間に通じるところがあるように思います。

 世阿弥の言う「初心」が何かを突き詰めて難しく考えると、これはまた少し複雑なことになってしまいますので、ここでは「初心者だった頃」と簡単に考えることにしましょう。

 ここで思うのは「初心者が取り組む内容が、実は一番難しい」あるいは「すべてを決定してしまう」という現実です。今年は久しぶりに大学で1~2年生対象のゼミナールを持ちまして、この原稿を書いている前日が初回だったので、いくつか思うことがありました。

 東京大学に呼ばれて14年目になる今年から、指揮研究室の教育プロジェクトとしてトップエンドの水準でオペラの舞台を、実際の響きなど3次元的に検証しながら作っていくゼミナールを始めました。

 こういうものは地球上にかつてない取り組みで、すべてが試行錯誤です。でも勝算は持っています。そうでなければ、新しいことは始められないわけです(笑)。

 そんなこともあって、今回はこの「初心」あるいは「初心者」の心得、みたいなことを考えてみたいと思います。

何事も基礎がすべてを決定する

 つくづく思うんですが、教育ってのは、受けてる間はその大切さが分からないもの、という気がするんですね。するようになってから、あるいは受けられなくなってから、いろいろご利益やらありがたみやらが分かってくる。

 一番端的に思うのは「初級」入門編の1の1の大切さです。

 いま、私は48歳になりますが、何か仕事をしようというとき、困ったな、とか、ちょっと歩みが鈍るようなことがあると、それは大半が「基礎」に関わる部分だと痛感させられます。

 逆に、自分が専門として看板を掲げていることは、基礎の部分が一通りどうにかなっている。この「基礎」のあり方、あるいは考え方のちょっとの違いが、あとあとずいぶん大きな違いになって現れてくると思うんですね。

 先に結論を言ってしまうと、「基礎」はマスターすべきもの、丸ごとカラダに入れてしまうべきものでもありますが、それが「丸暗記」になっているとどうにも使い勝手が悪い。柔軟に、縦横に、使いこなせる自分自身の手足のようなツールが「基礎」のあるべき身につけ方だと思うのです。

 そこでのちょっとした感じ方や考え方の違い、あるいはごく些細な「基礎習慣」の有無などによって、あとあと大きな違いが出てきます。