「てんぷら×魚フライ」で誕生したエビフライ

日本人のごちそうはやはり日本生まれ

2013.01.11(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

戦後の「衣替え論争」

 洋食屋の隆盛とともに、その王道メニューとなっていったエビフライ。1906(明治39)年に刊行された『食道楽続編 夏の巻』(村井弦斎著、報知社)では、「海老料理」の項目に、伊勢エビを使った「海老のカツレツ」の作り方が紹介されている。大正時代にもなると、新聞記事にその名をちょくちょく目にするようになる。

 こうして洋食の人気メニューとして不動の地位を築いてきたエビフライは、戦後になって一気に大衆化が進んだ。冷凍エビフライの登場である。

 1962(昭和37)年、冷凍水産品の製造と販売を行っていた加ト吉水産(現テーブルマーク)は、冷凍食品の「赤エビフライ」を発売。これをきっかけに、エビフライはお弁当のおかずとしても人気を博していく。

 その人気の高さゆえか、1970年代後半にはちょっとした騒動も起きている。消費者から「冷凍エビフライの衣が厚すぎる」との声があがり、衣の厚さをめぐってひと悶着があったのだ。

エビフライ。食用油でからっと揚げてから、中濃ソースやタルタルソースなどをかけて食べる。

 1977(昭和52)年1月19日付の朝日新聞朝刊には、「冷凍エビフライ衣替え論争」と題し、その騒動を詳しく報じている。それによると、前年の冷凍エビフライの生産高は1万8500トンで冷凍食品全体の4割を占めるほどの人気ぶりだという。売れるにつれ、消費者の目が厳しくなる一方で、業界側は衣を薄くしたら、冷凍したときに衣がはがれてしまうと反論。間に立つ農林水産省が、JAS(日本農林規格)を定めようにも定められずにいる様子が記されている。

 この騒動が決着したのは結局、翌78(昭和53)年のことである。それまで業界は、衣の重さをエビフライ全体の60%以下に抑える自主規制を設けていたが、JAS の規定で50%以下という基準で落ち着いた。たかだか10%という気もしなくもないが、その10%にこだわるところこそが、エビフライに対する人々の期待感を象徴しているように思える。

 西洋料理の魚のフライと、江戸料理のてんぷらが結びついてできたエビフライ。洋食の黎明期から定番として愛されてきたこの料理は、現在も日本人にとってのごちそうであり続けている。それは、冷凍食品として手軽に食べられるようになったいまでも変わらないのだ。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
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「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。