確たる勝算のない大学の「秋期始業」は単なる「ゆとり教育化」でろくなことが期待できず、基本やめた方がいいというお話です。
実は9月始業、いろいろな意味で工学系など理科系で、導入の進み具合が速い面があるらしい。なぜでしょうか?
少なくとも2つ、すぐに思い浮かぶ理由があります。第1は、関連企業との間でプログラムが組めることです。青田買い的に若い人にOJTや体験プログラムなどを施して、18~19歳のやわらかい人材を直接囲い込める可能性があるわけです。
もう1つは国際的な学事カレンダーの問題です。理学系などは基本、業績は国際語で出す論文・書籍で日本固有の歳時記はあまり関係がない。人材交流など考えてもアカデミックカレンダーはグローバルスタンダードに揃えると利便性が高い。
一方で医学部医学科などはある種の就職の「心配」がないので、秋だろうと春だろうと、国家試験~研修医配属といった流れにたいした影響は受けない・・・などなど、本音の議論があると思います。
で、こういうものは、えてして世の中には出てきません。本当のこと、というのは、黙ってそそくさと進めてしまう。そんなもんでしょう。
9月入学、で、行き先が見えないのは、何と言っても「文系」です。
いかなる「文系大学教育」が可能なのか?
この原稿だけお読みになる方に、先に申しておきますが、大学の中でも外でも、私は「教養教育」の重要さを延々強調し続けてきた、音楽の教官でありまして、本来、文科系の大学相当の教育が本当に重要だと思っている者です。
そのうえで、申し上げるわけですが、いったい大学でどういう「文系の高等教育」が施され得るのか・・・非常に憂慮している面があります。
医学部を出て試験に通れば医者と認められる。物理学科を出れば物理屋、電気学科を出れば電気屋、機械学科を出れば機械屋、と世の中は見る。
では「私は大学で法学部を出ました」と言えば、世の中は「あ、この人は法律の専門家だ」という目で見てくれるのか・・・違いますね。司法試験に通り、法曹の資格を持った人を「法律の専門家」と見る。それが日本社会の現実です。
「僕、経済学部出たんですが」という人を企業人事の面接担当は経済の専門家とは見ない。少し前なら「仏文を出ました」「独文科出身です」と言えばフランス語やドイツ語ができるものと思ったのですが、どうやらそうと限ったものでもないらしい。