石原慎太郎氏が東京都知事を辞職し、「たちあがれ日本」の代表に就任するという。石原氏という人物は、毒のある政治家だが、他には見られない魅力を持った政治家でもある。東京都政のことを詳しく承知しているわけではないが、ディーゼル車規制、銀行の建物面積や従業員数に着目して税収を図る銀行への外形標準課税の導入、中小企業への無担保無保証融資を専門とする新銀行東京の設立、官公庁会計を単式簿記から複式簿記に変更する公会計制度改革、世界最大規模の東京マラソンなど、トップダウンによる思い切った政策がいくつも実行に移された。確かに新銀行東京は杜撰融資で失敗したが、中小企業金融を円滑化させようという意図が間違っていたわけではない。
東日本大震災で発生した福島第一原発のメルトダウン、建屋爆発事故や市原コンビナート火災でも東京消防庁が消防・防災活動で大きな貢献をした。被災地のがれき処理でも、東京都は真っ先に受け入れを表明し、実行に移した。「さすが首都東京だ」と多くの人々が拍手を送った。
尖閣諸島の東京都による買い上げ構想も、決して間違った方針ではなかった。結局のところ尖閣は国有化され、日中間で大きな摩擦を引き起こしたが、その原因は中国側にある。
東京都というのは、予算規模が韓国の国家予算並みの12兆円、職員数は17万人と桁外れに巨大である。その経済規模はGDPベースではカナダを抜いて世界第9位にあたる。この力をバックにしていたからこそ、石原氏はトップダウン方式で様々な施策を実行できたし、その個性も存分に発揮できたはずだ。
その地位をわざわざ捨て去って、なぜ国政に転身しようとするのか。東京都知事というのは、首都の顔であり、その政治的地位は首相に次ぐものと言ってよい。このバックボーンがなくなった石原氏に、果たして魅力はあるのだろうか、果たして力はあるのだろうか。
「たちあがれ日本」の会合で、石原氏本人が「『暴走老人』はいつ死ぬかもしれない」と語ったそうだが、その姿は私には一老人にしか見えなかった。
前途多難な第三極づくり
石原氏は、自民党、民主党に次ぐ第三極をつくることに躍起のようだが、その姿にも痛々しさを感じてしまう。