前回(「日本には本当の『宗教』が足りない?」)、宗教の話題に触れました。宗教を大切にするのはいい。しかし宗教が力を持ちすぎて、しかもそれがオウム真理教のような体質を持っていたら大変なことになる。そんな読者の疑問にお答えすると書きました。

 結論を先に言ってしまえば、共和制ローマは、権力が暴走しない仕組みを持っていたのです。

うそをついた占い師が受けた罰

 まず、共和制ローマの宗教から説明しましょう。

 共和制ローマは多神教で、一神教に見られるような独裁的な神をそもそも認めていません。神と対話する神官などの権威は認めますし、尊重もします。しかしローマを堕落させるような行いをすれば、躊躇なく罰したのです。

 こんな話があります。ローマは、戦いを始める前に鳥占いをやりました。鳥占いとは、従軍させている鶏にエサをやり、鶏がエサをついばんだら「この戦いは勝つ」という神のお告げとして解釈されました。鶏がエサを食べないと、逆のお告げとなるわけです。

 サムニウム人と戦ったローマの英雄に、執政官ルキウス・パピリウス・クルソスという人がいます。紀元前293年、アクィロニアでサムニウム人との決戦前、パピリウスは、鳥占いを占い師に頼みました。パピリウスの軍隊は充実しており、パピリウスも負ける気がしなかったのですが、やはりローマ人ですから神のお告げを知りたかったのです。

 ところがこの時、鶏はエサを食べませんでした。パピリウスが戦う気満々なのを知っていた占い師は、困ってしまって、うその報告をします。しかし鶏がエサを食べなかったのを見ていた別の占い師がいて、事実をパピリウスは知ることになります。

 占い師がうその報告を行ったことに怒ったパピリウスは、戦争は占いの結果通りになると言って、占い師を最前線に連れていきます。

 そのとき、たまたま味方の放った槍が占い師に当たってしまいます。パピリウスは「うその占いをした者は罰を受けたから、神は我らの勝利を告げている」と強弁してして戦闘を開始し、勝つことができたのです(注:原典であるリウィウスの「ローマ史」では、味方ではなく敵の矢で占い師は死んだことになっています)。

 宗教は尊重しつつも、ローマを堕落させる行いは許さない。そうした姿勢を示すエピソードです。