本来のトヨタ生産方式を説く本コラムは「自働化」の話に入っていて、今回はその15回目になります。

 ここまでに「自働化」という概念の様々な側面を説明してきました。今回は、これまでの舌足らずの分を補筆する意味も込めて、「本流トヨタ方式」がどのような個人と組織体を対象に考えられているかを、視点を変えて説明すると共に、労働者の「生きがい、やる気の管理」について触れてみたいと思います。

自由主義経済を支える市民としての資質

 まず、「本流トヨタ方式」が対象としている個人の資質についてお話しします。

 最近、ある売れっ子芸能人の母親が生活保護を受けていたとか、若者たちが「ナマホ」と呼んで安直に生活保護を受ける傾向があるという世情を批判する報道が見られました。そこでは政府の対応策に話が終始し、個々人の生き様、すなわち「自律と自立」「自尊心」「プリンシプル」といった人生哲学にまで踏み込んだ論説を目にすることがなかったことを残念に思っています。

 というのは、筆者には以下のような個人的体験があるからです。

(その1)

 1976年に初めて出張した東南アジアは、まだ貧困にあえぎながら、日本のような工業立国を目指して頑張っていました。

 バラック建ての街角では浮浪児のような格好をした子供たちが信号で停まった自動車を取り囲み、新聞、タバコなどを売っていました。バケツとブラシを持って車を洗わせろと言い寄ってきます。決して物乞いはせず、必死に働く姿が強烈な印象として今でも思い出します。

 当時の日本の子供たちは「残さず食べなさい」「勉強しなさい」と言われ、「働いて親を助ける」こととは縁のない世界で生きていました。たくましさがあまりにも違うので、日本はいつか負ける日が来るのではと危惧したものでした。

 企業は新入社員を社内で鍛え直していましたが、それも追いつかず、今日その危惧は現実のものになったと感じています。