ノーベル賞の受賞者を多数並べて見てみると、いくつかの研究グループの系列が見えることがあります。つまり、ある研究室の教授と、そこで学んだ元学生、さらにはその下で学んだ孫弟子・・・といった人々が、ノーベル賞の栄誉に輝いている。

お稽古事の名取ではない

 こうしたことをお話しすると「やっぱりいい先生のお弟子じゃないとダメなのね」といった反応を頂くことが、日本国内では多い気がします。ことこれがノーベル賞ではなく、音楽のレッスンなどであると、さらにその傾向は顕著です。

・・・何々音大に入りたい。そのためには何々音大のナントカ先生の個人レッスンを受けるのがいい。そのレッスン料は毎回いくらで、1カ月当たりこれくらいのお金がかかって・・・

 なんて具合に「お稽古事」はお金で物事を判断することが、現実問題としてありますね。率直に言いますが、これが日本のガンだと思っています。どういうことか?

 逆に考えてみてください。例えば上に書いたのを。

・・・何々医大に入りたい。そのためには何々医大のナントカ先生の個人授業を受けるのがいい。その謝金は毎回いくらで、1カ月当たりこれくらいのお金がかかって・・・

 と書いたら、これって通常の受験に見えますか? 裏口入学とは言わないけれど、日本社会で一般に認められている受験を巡る倫理と、明らかに違うことになってはいないでしょうか?

 「芸術は、一般の勉強とは違うから・・・」

 とか言わないでください。僕自身がその道の教授業を10年来続けている張本人ですから(笑)。

 もちろん、音楽伝統の伝授は個人単位が基本であることは言うまでもありません。はっきり言ってしまえば、大学入試うんぬんは、最も決定的なことではない。