マキァヴェッリという人は、「君主論」のイメージから「怖くて悪人」の印象を持たれることが多いようです。実際は、鼻っ柱も強かったのですが、お茶目なところも多い人でした。

 仕事中にもいたずらをやります。政府をクビになって9年目の1921年、マキァヴェッリは嫌われていたメディチ家からも仕事をもらえるようになっていました。ある時、メディチ家の支配するフィレンツェ政府から仕事を依頼され、リミニに出張します。

 出張の目的は、同地で行われるフランチェスコ派修道士会の総会に出席し、「フィレンツェ領内の同会組織が分離独立することを認めてほしい」と交渉することでした。ついでにフィレンツェの毛織物業組合から「翌年の四旬節に説教してくれる修道士を見つけてきてくれ」とも頼まれていました。

 旅の途中、モデナに立ち寄り、同地の地方長官フランチェスコ・グイッチャルディーニと会って意気投合し、友人となります。マキァヴッェリはこのグイッチャルディーニの協力を得て、早速リミニで修道士会相手にいたずらを仕掛けます。

 この頃のマキァヴェッリは、お笑いモノを書く人気劇作家として有名でした。現代で言うなら、三谷幸喜氏くらいの作風と知名度があったのです。

 お笑い作家が政府の使者として行くわけですから、修道院ではなめられる。なめられたら宿もメシも貧相になるに違いない。なめられないためにいたずらを仕掛けよう。そう考えたのです。

見かけに惑わされず本当の善悪を判断することが大切

 それは、どんないたずらだったのでしょうか?

 マキァヴェッリはグイッチャルディーニに頼んで、自分がリミニに着いた頃に使者の兵隊を寄こしてくれと頼みました。しかも、慌てた様子で手紙を持ってこさせてほしいと付け加えました。

 走り疲れて、肩で息をしている兵隊が修道院にやってきて、「マキァヴェッリ様はいらっしゃいますか! モデナ長官のグイッチャルディー二から至急便を届けろと言われて参りました!」とやるわけです。