ビジネス誌などによく掲載されている記事に、成功した経営者のインタビューがあります。インタビュアーは必ず「あなたが成功した理由はなんですか」と聞きます。経営者の返答は様々ですが「運が良かったから」と答える方もおられます。
成功の理由を自分の実力ではなく運だとするのを、謙虚さの表れと見る方も多いと思います。しかし実際は、率直な気持ちで、本心から言っている方が多いのではないでしょうか。
カルタゴ軍の攻撃からローマを救ったスキピオの一手
<共和国では国内にいろいろな才能をそなえた人間が控えているので、時局がどのように推移しようと、これにより巧みに対応していくことができるが、君主国の場合はそうはいかない。>
『ディスコルシ』(マキァヴェッリ、ちくま学芸文庫、永井三明訳)
第2次ポエニ戦争(紀元前219年~紀元前201年)で、イベリア半島からアルプスを越えてやって来たカルタゴの名将ハンニバルを迎え撃ったのは、共和制ローマの将軍ファビウス・マクシムスでした。
トラシメヌス湖畔の戦いの大敗後、急遽独裁官に任命されたファビウスは、細心堅実にことを進めるタイプの人でした。ハンニバル率いるカルタゴ軍と正面切って戦っても勝てないと判断し、戦闘を避け、カルタゴ軍の後ろに回って追跡(嫌がらせ)に徹しました。もちろんカルタゴ軍が攻め来たら逃げるわけです。
またカルタゴ軍が行きそうな地域の穀草などを燃やし、焦土にすることでカルタゴ軍を苦しめます。馬やラクダが物流手段だった16~17世紀あたりまで、西洋軍隊の補給の主流は現地調達(略奪)でした。
軍隊は1カ所に常駐しているとすぐに食料や飼葉(馬のエサになる草)が尽きてしまうため、食料と飼葉を求めて常に移動する必要があったのです。そんな時代ですから焦土作戦は今以上に効き目がありました。ハンニバル相手に大胆不敵な戦いを挑んだ将軍たちは、みんな散々な負け方をしています。当面はこれしか方法がなかったわけです。
しかし、焦土作戦には限界があります。カルタゴ軍は国土を荒らし回りますが、ローマ共和国軍は逃げ回っています。そして自分たちの国土を焦土作戦のため焼き払うことは致し方ないとはいえ、焼き払われる住民の不満は高まります。ハンニバルと唯一四つに組めたファビウスが「グズ」「のろま」呼ばわりされていたくらいです。
住民の不満が臨界点に達する前にハンニバルが撤退したらよかったのですが、戦争の長期化でハンニバルが消耗・撤退する前に、住民の不満はどんどん高まっていきます。