アジアの製造業が日本の製造業を急速にキャッチアップしつつある。2000年代に入ってから急成長を示した韓国や台湾の液晶パネル産業は、その典型である。投資規模だけではなく、技術的にも日本を追い越したように見える。
第3世代までは日本が先行して、それに韓国企業が追随する構図であった。しかし、2002年に立ち上がった第5世代液晶パネルでは、韓国企業が先行し、その後も第5世代工場に投資した日本企業は皆無であった(注:世代が新しくなるほど、製造する液晶パネルが大きくなっていく)。
その韓国企業に追随したのが台湾企業であった。1990年代末に日本企業からの第3世代の技術導入で立ち上がった台湾企業は、2003年から第5世代工場を立ち上げることによって、液晶パネル産業での地位を確固たるものにした。2004~2005年の液晶パネルの世界の生産能力の半分以上を第5世代工場が占めるようになった。
しかしながら、製造装置や部材の多くは、日本企業に依存する状況であった。その中で、韓国企業や台湾企業はいかにして技術的に最先端の工場を立ち上げていったのであろうか。
その理由を筆者なりにまとめると、(1)部材の互換性、(2)製造設備の国産化、(3)設備能力の継続的改善、(4)製造設備の標準化と共有化、の4つになると考えている。ここでは4点目に絞ってその内容を紹介したい。
台湾勢を自社の製造技術グループに巻き込んだ韓国メーカー
第5世代液晶工場のパイオニアは韓国のLGグループであった。世界初の第5世代工場は、LGが2002年の第2四半期に立ち上げた。それまで、第3世代までは日本企業が先行し、韓国企業が追随していた。三星電子が1998年に第3.5世代で初めて日本に先行し、同時に世界シェアトップの地位に立った。しかし、第4世代では再び日本のシャープが先行した。
そういった状況の中で、日本、さらには三星電子のやや後塵を拝していたLGグループのLGフィリップスLCD(LPL)が、初めて第5世代で世界を先行しようとした。
しかし、LG単独でできるわけではなかった。そこで彼らが考えたのは、台湾勢を自社の製造技術グループに巻き込むことであった。