男心を捕える「私の得意料理は肉じゃが」、
さかのぼると海軍の味?

2011.09.09(Fri) 澁川 祐子
筆者プロフィール&コラム概要

 1871(明治4)年から1878(明治11)年までイギリスのポーツマス市に留学した東郷は、その時に食べたビーフシチューの味が忘れられなかった。そこで、艦上食として部下に命じて作らせようとした。だが、当時はドミグラスソースもワインもない。代わりに、肉やじゃがいも、玉ねぎを醤油と砂糖で煮た「和風ビーフシチュー」を作らせた。これが、肉じゃがの原型であると言われている。

 1901(明治34)年、東郷は初めて司令長官として舞鶴鎮守府に赴任した。また、舞鶴市の海上自衛隊総監部には、現存する最古の肉じゃがレシピと言われている、1938(昭和13)年版の『海軍厨業管理教科書』が残っている。これらを根拠に、舞鶴市は95年、「肉じゃが発祥の地」を宣言した。

 舞鶴の宣言から遅れること2年、呉市が「我が街こそは肉じゃが発祥の地だ」と反論した。東郷は、舞鶴に着任するよりも10年ほど前に、呉鎮守府の参謀長として呉に赴任している。だから、肉じゃがは呉市で誕生したのだ、と主張。「元祖肉じゃが」争いが両市の間で繰り広げられた。

肉じゃが。具は、肉、じゃがいも、たまねぎなど。味付けは、醤油に砂糖やみりん。

 98年には、「くれ食の祭典」で両市がそれぞれ肉じゃがを作り、どちらが元祖か参加者に判定してもらう、というイベントにまで発展する。その結果は、引き分け。現在も、舞鶴市と呉市は「肉じゃが発祥の地」を名乗り続け、争いに決着はついていない。

 だが、東郷平八郎発案説はたぶんに疑わしい。

 ドミグラスソースを使ったハッシュドビーフとライスを組み合わせた「ハヤシライス」は、諸説あるものの、明治初期に誕生している。たとえドミグラスソースが手に入りにくいとしても、お偉いさんから命じられて、砂糖と醤油で代用するなんてことがあるのか。東郷平八郎発案説は、あくまで伝説にすぎないのではないかと、私は考えている。

大正期には存在していた肉じゃがらしき料理

 では、舞鶴市や呉市が前提にしている海軍発祥説は確かなのだろうか。

 よく引き合いに出されるのは、1905(明治38)年の日刊紙「時事新報」の記事である。「軍艦内の食事(佐世保特派員)」と題し、10月11日の昼食として、乾パン、砂糖、焙麦の主食に加え、「煮込」とあり、「牛肉、馬鈴薯、玉葱」と記されている。

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1974年、神奈川県生まれ。東京都立大学人文学部を卒業後、フリーのライターとして食や工芸・デザインを中心に、読むこと、食べること、暮らすことをテーマとしたインタビューやルポ、書評を執筆。『森正洋の言葉。デザインの言葉。』(ナガオカケンメイ監修、美術出版社)、『最高に美しいうつわ』(SML監修、エクスナレッジ)の取材構成ほか、近著に当連載をまとめた『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)がある。


食の源流探訪

日本人が日常茶飯としている定番食。あまたある食べものの中で、
なぜそれが定番になり得たのか。どのように日本化されていったのか。
「新・日本食」の源流からの流れを、歴史をひもときながら考察する。