日本ホリスティック医学協会会長を務め、ホリスティック医学の最先端を走り続けてきた先駆者、帯津良一先生に取材した。5月に出版された五木寛之さんとの対談集、『生きる勇気 死ぬ元気』(平凡社)について話を聞くためだったが、本の話は半分で、後は現在の医療の問題点、特にがん治療現場の問題点を聞いた。2回に分けてインタビュー形式で紹介する。

ホリスティック医学とは何か?

 その前にまず、ホリスティック医学について大まかに説明しておこう。現代医療の多くは、西洋医学を柱としている。治療の対象とするのは言うまでもなく肉体であり、そこでは心の問題や患者を取り囲む環境などは対象としない。

 がん治療で言えば、手術、放射線治療、抗がん剤治療が柱であり、患者の心のありようや生活などは問題視されない。また、エビデンス至上主義であり、それが明白でない治療は度外視される。この西洋医学がどれほど人類に大きな貢献をしてきたかは言うまでもない。

 しかし、近年、その限界も指摘され始めている。がんの3大治療への固執は、がん難民という言葉を生み出し、患者不在の医療のあり方には苦情も多い。そこから、本当の健康は、肉体だけではなく、心、そして生活、環境、全てをトータルで考えた中から生まれてくるのではないかという考え方が徐々に広がってきたのだ。その1つが、ホリスティック医学である。

 ホリスティック医学では、目に見えない心や霊性を含めた “Body-Mind-Spirit” の視点から健康を考える。Holisticという言葉は、「holos(全体)」(ギリシャ語)を語源としているように、全体的な視点で健康をとらえる。

 特徴は、生命が本来持っている自然治癒力に癒やしの原点を置き、これを高め増強することを治療の土台とする。具体的には、漢方、気功、ヨーガ、鍼灸、アーユルヴェーダ、ホメオパシー、サプリメント、食事療法、心理療法、イメージ療法、生きがい療法等々その守備範囲は実に多種多様で幅広い。

 また、治療の中心者は、医者ではなく患者で、患者を中心として医療者や家族がいると考える。さらに、病を否定的にとらえるのでなく、その深い意味に気づき、より深い充足感のある自己実現を目指そうとする。

 もちろん、西洋医学も大切にする。というよりも、帯津先生は、プロフィールを見れば分かるが、もともとは西洋医学バリバリの、食道がんを専門とする優れた外科医だった。

 それではまず、五木寛之さんとの対談集『生きる勇気 死ぬ元気』に関する話から始めよう。

医者と作家に共通したものは?

 五木寛之さんとの対談集は、既に2007年に出ていますが(『健康問答』平凡社)、今回再び出版するきっかけは何だったのでしょうか?

帯津良一(おびつ・りょういち)
1961年東京大学医学部卒業。東京大学第三外科助手、都立駒込病院外科医長を経て、82年帯津三敬病院開設。外科医として食道がん治療をしていく中で、西洋医学の限界に気づく。漢方や鍼灸、気功などの中医学も取り入れた治療をするために82年に埼玉県川越市に帯津三敬病院を作り、ホリスティック医療推進に努める。日本ホリスティック医学協会会長、日本ホメオパシー医学会 理事長。著書に、『がんになったとき真っ先に読む本』(草思社)、『ホリスティック養生訓』(春秋社)、『今日よりも、よい明日』(角川SSコミュニケーションズ)、『死を生きる。』(朝日新聞出版)など多数。

帯津 『健康問答』が出た背景には、当時流行っていたテレビの健康番組がありました。健康に関する様々な情報が飛び交っていたわけですが、そうした風潮に対して、以前雑誌で対談したことのあった五木さんが、「本当のところはどうなんだろう? 帯津と一緒に話がしたい」ということで、実現したわけです。で、今度は、「生き死にの問題について話をしたい」ということになったんです。

 楽しかったですか? 

帯津 面白かったですね。五木さんがちょうど親鸞についての小説を書き始めていた頃だったので、張り切っていたようで、熱気が溢れていました。

 対談を振り返って印象に残っていることは?

帯津 私は、仕事柄、死にゆく人を数多く看取っています。片や五木さんは、終戦時、朝鮮半島から引き揚げてくる時に大変な経験をされている。お母様も周囲の人々もバタバタと死んでいく。「当時のことはあまり話したくないんだ」と言いながらもポツポツと話される。

 さらに、親鸞を書くくらいだから仏教の勉強も幅広くされている。医者である私の死生観と、作家である五木さんの死生観は当然異なりますが、死について考えざるを得ないという点では、共感するところは多かったですね。