最近、石川県議会で、子どもの携帯電話所持を制限する全国初の条例が成立した。罰則規定こそないものの、小中学生に携帯電話を持たせないという保護者の努力義務を法規制の中に盛り込んだのは画期的だ。

 2008年末には大阪府の橋下徹知事が、府内の公立小中学校への携帯電話持ち込み禁止を宣言した。さらに今年の1月には福岡県芦屋町で、法規制ではないものの、同じく小中学生の携帯電話所持を原則禁止する「子ども 脱ケータイ宣言」が発表されて話題となった。

 こうした地方の動きに後押しされるかのように、文部科学省もついに重い腰を上げ、1月30日付で小中学校への携帯の持ち込みを原則禁止する通達を出した。

 今回はそんな流れを受けて、地方自治体においてではあるが、ついに法規制にまで至ったということである。

規制せざるを得ない段階に

 小中学生が犯罪に巻き込まれるケースなどが出始め、携帯の問題が指摘されながらも、禁止するまでにこれほど時間がかかったのはなぜか。理由は、大きく分けて2つある。

 1つは安全確認のために携帯が必要であるという意見が根強いこと。もう1つは、今回の石川県の条例案でも反対派が唱える「倫理による規制」論である。

 1つ目の安全確認の話は後で検討するが、ここで先に見ておきたいのは、2つ目の倫理による規制論の方だ。

 つまり、「携帯電話の所持を制限すべきかどうかは法的規制になじむものではなく、むしろ家庭や学校、あるいは地域で話し合って決めるべき問題だ」とする考え方である。

 確かにこうした主張は分かりやすい。実は私の勤務する徳山高専でも、このことが再三再四問題になってきた。高専には大学生のほかに高校生に当たる子たちがいるのだが、彼らには今のところ携帯に関して何も制限がない。

 私は倫理を教えている関係から、何でもかんでも規則や法でガチガチに縛ればいいものとは思っていない。できるだけ自ら律するのが原則で、それでもどうしようもない事柄のみ、上から規制すべきだと考えている。

 そして、この問題については、残念ながら上から規制せざるを得ない段階に来てしまったと感じている。

 そもそも法と倫理の関係はそういうものだ。原則的には私たちの社会は自分たちで律して秩序を保っている。しかし、どうしても強制力をもってしてでも制限すべき事柄がある。それだけは、法という形で上から規制しなければならない。