「失われた30年」と呼ばれた平成、そして令和の現在にいたるまで、長きにわたり停滞してきた日本経済。しかし、こうした状況の下、着実に成長を続けてきた企業が味の素社だ。社会が急激に変化を遂げてきた近年、同社はどのように経営改革に取り組んできたのか。また、DXやSDGsに取り組む日本企業は今後、どのように事業を進めるべきなのだろうか。
そこで今回は、味の素株式会社 取締役 代表執行役社長 最高経営責任者である西井孝明氏と一橋ビジネススクール 客員教授の名和高司氏の2人を招き、近年の業績好調の秘訣、DX、SDGs、ダイバーシティ&インクルージョンへの取り組み、「パーパス」を掲げた経営のポイントなどについて、語っていただいた。

※本コンテンツは、2022年2月28日に開催されたJBpress主催「第1回 戦略人事フォーラム」の特別対談「味の素社のパーパス経営」の内容を採録したものです。

好調の理由の一つは「積極的な主力事業のポートフォリオ入れ替え」

 日本経済が停滞していた時期にも好調を保ち続けてきた味の素社。勝因の一つに、積極的に主力事業のポートフォリオを入れ替えてきたことが挙げられる。日本企業は概して、好調時には事業を拡大する傾向が強く、縮小することは稀だが、同社は2005年から2015年にかけ、1990年代を支えた過去の事業を縮小させた。

 西井氏が、代表取締役社長を務めていたブラジル味の素社から戻り、味の素社の代表取締役社長に就任したのは2015年。当時の業績は2016年に過去最高益となるなど極めて好調で、中期経営計画の目標数値も1年前倒しで達成する勢いがあった。だが、その一方で、既に会社の成長には陰りが見えているとの見方もあったという。西井氏は、構造改革への出遅れ、過去の成長モデルへの依存と短絡的な拡大志向を反省点と見定め、早期に新規事業の開拓と事業収縮の両方に着手する。

事業ポートフォリオ転換のポイント

 同社に続き、やがて他の日本企業も事業のポートフォリオ転換に取り組み始めるが、多くの企業では成長が止まってしまう。一方、同社は反転するように成長。勝因の一つは、飛び込んだのが、純然たる未知の世界ではなく、同社の主要ビジネスにつながりのある領域だったことにありそうだ。

「電子材料事業にしても、味の素バイオファーマサービスにおけるグローバルなCDMO(医薬品受託製造)にしても、アミノ酸の機能追求、研究開発・応用という弊社の主軸事業とのつながりがある分野です。こうした競合他社に負けない強みを、利益の上がらない分野でなく、より付加価値の高い事業に向けていきました。こうした転換においては、アセットライト(資産保有の必要最小限化)を早めに行うことが大切です。フィット(事業構造強化)する事業は決めてありますので、人材を事前に振り分けておくのです」(西井氏)

味の素社におけるFit & Grow with Specialty「成長ドライバーの展開(GROW)」・「更なる事業構造強化(FIT)」とその土台となる「経営基盤の進化(経営イノベーション)」
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 リーマンショック後の2010年代にはIT産業自体が停滞し、同社の電子材料事業も苦戦していたが、DX時代の下地段階といえる2018~2020年には急激に成果が出始め、現在では全社を引っ張る事業になっているという。

 アクセルとブレーキの踏み方が絶妙だった西井氏だが、事業のポートフォリオ転換の難易度は高かったと語る。特に欧州における企業・工場の縮小には大きなリスクがあり、時間もかかった。

「構造改革・フィットは常に思い通りにいくわけではありません。欧州での事業縮小についても焦る気持ちを抑えつつ、タイミングを見定めていました。その一方で、投資家とはしっかり対話するように心掛けていました。そうでないと株価上昇は見込めません」(西井氏)

社員・投資家が一丸となる「パーパス」を掲げる

 名和氏は、こうした西井氏の経営の真骨頂が「パーパス」の掲げ方にあるという。あるタイミングで西井氏がパーパスを掲げると、多様な考えを持つ社員・投資家たちが一丸となり、一つの方向へ向かうからだ。

 2018年半ば、それまで掲げていた『グローバル食品企業トップ10クラス入り』が実現不可能と判明した時点で、西井氏は次の10年の戦略について、40人の役員を対象とした合宿で徹底的に議論したという。

「『食と健康の課題に取り組む企業』という原点を重視しました。創業の志に返ることにしたのです。しかし、過去に戻るのではなく、あくまでこれをパーパスと位置付け、10年後の2030年における食と健康の課題とは一体何かを考えていったわけです」(西井氏)

 それまで規模を追い掛けるビジョンを掲げてきた同社は、2年に及ぶ長い議論の期間を経て、初めてパーパスに基づくビジョン「アミノ酸のはたらきで食習慣や高齢化に伴う食と健康の課題を解決し、人びとのウェルネスを共創します」を掲げる。具体的目標は2030年までに10億人の健康寿命を延伸、環境負荷を50%削減。新ビジョンは経営陣・従業員の双方がともに納得する内容だった。

味の素社による10億人の健康寿命延伸計画のKPI
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味の素社が目指す環境負荷50%削減のKPI
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 名和氏によれば、2021年1月~12月の間、「パーパス」がグーグルで検索された回数は40億回と、それまでの検索回数の10倍の値となっているという。これより3年前にパーパスを設定した同社には、やはり先見の明があったといえるだろう。