龍角散代表取締役社長の藤井隆太氏(撮影:内海裕之)

「ゴホン!といえば龍角散」のキャッチフレーズで、のどの専門メーカーとして知られる龍角散。1995年から同社の指揮を執る創業家の藤井隆太氏は、社長に就任した当時を「廃業まで考えるほどの大底だった」と回想する。そこからどのような変革で同社を再浮上させたのか。今後の事業展望も含めて藤井社長に話を聞いた。

ロングセラー製品の油断と事業の多角化検討で経営難に陥る

――龍角散は江戸時代に創薬されてから200年以上の歴史がありますが、藤井さんが社長になられた1995年当時、経営はとても苦しかったそうですね。

藤井隆太/龍角散代表取締役社長

1959年東京都生まれ。1984年桐朋学園大学音楽学部研究科修了後、小林製薬に入社。三菱化成工業(現・三菱ケミカル)を経て、1994年龍角散入社。1995年代表取締役社長に就任。世界で初めて開発した服薬補助ゼリー「らくらく服薬ゼリー」、「おくすり飲めたね」のヒット、基幹商品「龍角散」の姉妹品「龍角散ダイレクト」の投入などで累積赤字を一掃。売り上げを就任時の6倍まで伸ばす。また、東京都家庭薬工業協同組合副理事長、日本家庭薬協会副会長を歴任するなど、業界の発展に尽力しながら、フルート奏者としてコンサートへの出演や後進の指導にも当たっている。

藤井隆太氏(以下敬称略) 当時、龍角散の売り上げは40億円でしたが、借入金も同額の40億円まで膨らんでいました。

 主力製品であるパウダータイプの「龍角散」は、時代の変化とともに「飲みにくいし、むせてしまう」という方が増えていましたが、売り上げ自体は急減していなかったので、なかなか思い切った手が打てず、いわば“ゆでガエル状態”になっていました。

 しかも、当時は外部のコンサルティング会社の助言を受け、風邪薬や胃薬にも手を広げようとしていました。確かに、マーケットサイズはのど薬に比べて風邪薬や胃薬の方がはるかに大きいのですが、もし当社がその分野に手を伸ばしていたらつぶれていたと思います。大きな市場であればそれだけ競争も激しいですし、龍角散の企業規模ではとても太刀打ちできません。

 もちろんその他の新製品も出していましたが、どれも売れませんでしたし、「タイガーバーム(鎮痛消炎薬)」や漢方製剤なども輸入していましたが、高コスト構造が改善できず、負債は拡大していくばかりでした。

 実は、社長に就任した後、会社の廃業プランを書いたことがあります。このままでは会社を存続できないと思ったからですが、家内にも相談したところ、私が入社前の10年間、小林製薬さんや三菱化成工業(現・三菱ケミカル)さんに勤めてお世話になったこともあり、「この業界に恩返ししなくていいの?」と言われ、考え直して再挑戦することにしたのです。

龍角散

――翻意してから、どんな変革をされたのでしょうか。

藤井 私が音楽家(藤井氏はプロのフルート奏者)ということもありますが、音楽家は自分の得意なところをアピールし、他の人とは違った演奏ができないと意味がありません。事業もそれと同じで、得意分野にもう一度集中していこうと決意を新たにしました。

 また、われわれにとって一番大事なのはお客さまです。そのお客さまは現状の龍角散をどう見ているのか、改めて深く知らなければ変革もできないと思い、「龍角散」の愛用者にアンケート調査を行いました。

 古臭くて時代遅れなど、否定的な意見が多いと思っていましたが、結果は意外にも「歴史や伝統があるのど薬のメーカーで何も悪いところはない」といった声が多く、中には〈「龍角散」が買えなかったら類似商品を買いますか?〉との設問に、「絶対に買わない」と書かれたお客さまもいらっしゃいました。

 愛用者宛てのアンケートだったことを割り引いても、「そこまで強いロイヤルティーを持ってくださっているのか」と思い、「こうした方々が認めている点を愚直に拡大すればまだやっていける」という確信が持てたわけです。以後、新規事業分野からは順次撤退し、選択と集中を進めました。すなわち、リポジショニングです。

 そもそも「龍角散」はそんなに強い製剤ではありません。一般的な内服薬は血中に入って体中を巡り、強制的に咳や痰を止めるわけですが、「龍角散」は微粉砕された生薬が直接のどの粘膜に作用するので、むしろ血中を経由しない製剤であるという特徴を生かしたアピールをしていきました。