講演する山中伸弥教授
写真提供:共同通信社

 完全な経営戦略論は存在しない。20世紀初頭に生まれた「原形」は、環境変化に応じて改良・派生を繰り返してきた。本稿では『経営戦略全史〔完全版〕』(三谷宏治著/日経BP 日本経済新聞出版)から内容の一部を抜粋・再編集。企業がいかに理論を磨き、生存競争に勝ち抜いてきたかを振り返る。未来の知的資本を生み出すために、企業と個人が取り組むべきことは何か?

「ラーニング」の3つの新しい流れ

経営戦略全史〔完全版〕』(日経BP 日本経済新聞出版)

■ 資源のない小国で生まれたフューチャーセンター

 資源が少なくて欧米の中心から離れていて、人口が少なくて税金が高くて寒い国は?

 答えは日本ではなく北欧諸国23です。ゆえに、人材の活用、知識の創造に活路を見いだしてきました。そんな北欧から、新しい「ラーニング」のあり方が提唱され、実践され始めました。それが「フューチャーセンター」です。

 フューチャーセンターという言葉を最初に用いたのはスウェーデンのレイフ・エドビンソン(Leif Edvinsson, 1946~)。彼は当時、スカンディア保険で「どうやったら『未来知的資本』を生み出せるだろうか」を考えていました。

 その手段が「幅広いステークホルダーを巻き込んでのフラットで創造的な対話の場」をつくることでした。1996年、最初のフューチャーセンターは、美しい湖畔(こはん)のコテージで生まれたのです。社内のエースを集めても、高いコンサルティングフィーを払っても、なかなか出てこないような創造的な問題解決策が、多く生み出されました。それが注目を集め、まずオランダ24、デンマークの公的部門(パブリックセクター)が導入し始めました。12年時点では民間も含め、40以上のフューチャーセンターが欧州を中心に立ち上がっています。

 フューチャーセンターは知識経営に、器と具体的プロセスを与えたのです。

23 スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、デンマーク
24 オランダ政府のフューチャーセンターである「カントリーハウス」では、省庁の枠組みを超えて社会や地域の問題を解決するための対話(ダイアローグ)が企業・市民を巻き込んで行われている。