Art Konovalov – stock.adobe.com

 デザインは、企業が⼤切にしている価値、それを実現しようとする意志を表現する営みである――2018年に経済産業省・特許庁が発表した「デザイン経営」宣言の一節だ。世界の有力企業はデザインをどのように経営戦略の中に位置づけ、ブランド価値の向上やイノベーションの実現を成し遂げてきたのか。本稿では、『デザイン経営 各国に学ぶ企業価値を高める戦略』(小山太郎著/中公新書)から内容の一部を抜粋・再編集。イタリア、アメリカ、中国、韓国、北欧、そして日本を代表する企業の事例を取り上げ、デザインをてこに競争力向上を図る経営の在り方を解説する。

 流線的で躍動感あるフォルムが魅力の高級スポーツカー、フェラーリ。息が長く、まるで芸術作品のようなデザインに秘められた、アメリカや日本のクルマ造りと決定的に異なる考え方とは?

市場調査に勝ったピニン・ファリーナ――フェラーリの事例

■自動車のフォルムは未完成

 自転車の歴史を振り返ると、ペダルのないものから極めて大きな前輪を持ったものを経て、三角形のフレームという構造的に安定した固有の美しいかたちに到達した(15)。一方で、自動車はいまだにその構造と一致する完成した“かたち”に到達していない、とジオ・ポンティは述べている(16)

 とりわけデザインの自由度が高い電気自動車では、構造的に安定した固有の美しいかたちを研究する余地が大いにあり、そのさい、粘土ではなく樹脂を固めたエポウッドを削って原寸大のモデルを制作するイタリアの事例は参考になる(エポウッドを使うのは、事故の際に搭乗者が保護されるように、クルマの外皮〔殻〕は甲冑のように硬いことが望ましく、そのモデル作成にも軟らかい粘土は用いられないためである)。

 イタリアのカーデザインは、全体として躍動感を感じさせつつ、「諸々の量塊(マッス)(マッス=3次元の容積感)の間でバランスを取ることを間違えない(17)」ような彫刻(18)であり、そのボディは、19世紀末の作家・詩人であるガブリエーレ・ダヌンツィオの作品中で描かれた女性のように、滑らかだが熱を持った身体を模したものである(他方、ドイツ人にとって車はゴツゴツした男性の身体である)(19)

 たとえば、フレッシュな肉に対して陰嚢(いんのう)・乳首・臀部(でんぶ)・髪といった身体部品が付いたものとして身体を考えるならば、車の開閉式ヘッドライトは女性の睫毛(まつげ)として捉えることができ、そうすることで官能的なデザインが可能となる。そして女性の身体を模して完成した彫刻的なフォルムは、市場調査を通じて得られるものではない、という認識もイタリアのカーデザインの特徴である。この点に関してジオ・ポンティは次のように述べている。

(15)本節は、主に小山(2021a)および小山(2023)に基づく。
(16)邦訳大石(1962)p.319
(17)カーデザイナーであるフラビオ・マンツォーニの指摘によると、そういったバランス感覚は、誰も教えられないものであり、自らのうちにある理性的な部分と情緒的な部分とが出合った結果であるということである(Auto & Design (2005) p.31およびFavilla et al. (2013) p.188)。なお、そのデザインをマンツォーニが指揮した488GTB のプロジェクトでは、顧客がエンジン音と性能とを結び付けて考えることから、エンジニアとテストドライバーが協業して、望ましいエンジン音を実現すべく試行錯誤が繰り返された。エンジン音の発生源は、吸気、エンジン、排気の3つであり、ターボチャージャーを付けると吸気音と排気音を平坦かつ滑らかにすることができる(その意味でターボチャージャーは銃のサイレンサーのようなものである)。他方、エンジン音を決めるのは、シリンダーの数、その燃焼順序、エンジンやターボチャージャーの形状、材料、遮蔽物等である。フェラーリのエンジニアたちが好んだのは、加速時の大きな音ではなく、加速時にエンジンが働いて“変化する音”(コントロールされながらも立ち上がろうとする野獣のような音)であった。この音を出すためには、エンジン回転のあらゆる範囲に対して倍音(ハーモニクス)と音色を最適化しなければならず、そのために排気口径を63mmから70mmへと拡大することとなった。これは、あらかじめ録音したエンジン音や合成したエンジン音を室内に送り込んだり、また、スロットルの吸気量を増やして、加速時に空気を吸い込んで音を出すような、競合他社が採用していたやり方とも異なるものであった。つまり、フェラーリにとってエンジン音は、音楽であった(Thomke, et al. (2018) pp.7-8)。
(18)芸術作品を数多く保有する(ピアチェンツァ州の)ボッビオの街で育ったカーデザイナーのフィリッポ・ペリーニは、そういった芸術作品がロマネスク様式や古典様式の建築に由来する厳密な美の規範に従って制作されていることに注意を促しつつ、自らは幼少時からバランスの取れたスーパーカーを眺めてきた、と証言している(Favilla et al. (2013) p.196)。
(19)De Sliva (2021) p.77