1969年、京セラ創立10周年を迎えた稲盛和夫
写真提供:京セラ

 20代で京セラを創業、50代で第二電電企画(現KDDI)を設立して通信自由化へ挑戦し、80歳を目前に日本航空の再生に挑んだ稲盛和夫氏。いくつもの企業を劇的に成長・変革し続けてきたイメージのある稲盛氏だが、京セラで長らく稲盛氏のスタッフを務めた鹿児島大学稲盛アカデミー特任教授の粕谷昌志氏は、「大変革」を必要としないことこそが稲盛経営の真髄だという。本連載では粕谷氏が、京セラの転機となる数々のエピソードとともに稲盛流の「経営」と「変革」について解説する。

 第6回は、1969年に誕生した京セラ労働組合と稲盛氏が、「労使同軸」の関係をつくり上げるまでのエピソードを紹介する。同氏がこだわり続けた従業員との「信頼と対話」とは?

急拡大した組織に散見されたひずみ

 京セラの組織としての特質は、全社一丸の体制にある。それは通常、コンパや運動会など会社行事での一体感をもとに組織文化として、またアメーバ経営を通じて社員全員が経営に参画する組織管理とともに語られることが多い。

 一方、京セラ労働組合の歩みを追うことで、稲盛和夫がつくった企業組織の堅固さをより鮮明に理解することができる。稲盛は労働組合の誕生に向けて、労使関係の基本的考えを明確にしている。そして、その考え方に基づいた「労使一体体制」が、その後の京セラの驚異的な成長発展を支える組織基盤となった。

 一般にはあまり知られていない労働組合活動という側面から、稲盛の「企業変革」を見ていこう。

 1969年3月、京セラは創立10周年を迎えていた。売上は約19億円、経常利益は約7億円、従業員は535名を数え、年々倍々ゲームで成長を遂げていた。

 半面、急拡大した組織に付き物のひずみが散見された。稲盛や幹部たちは京セラという企業の在り方を伝えることに懸命に努めていたが、独特の組織風土になじめず、その考え方や行動指針を受け入れようとしない社員が一部に存在していた。