歴史上には様々なリーダー(指導者)が登場してきました。その
頼朝の挙兵で運命が変わる
北条義時は、平安時代末期から、鎌倉時代初期にかけての武将・政治家です。2022年度のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公として、一躍有名になりました。俳優の小栗旬さんが、青年期から晩年にかけての義時を演じていましたが、その演技の変遷は見事でした。
義時は、鎌倉幕府の第2代執権(将軍を補佐し、政務を統轄した最高職。初代は、父・北条時政)として、幕府の実質的な指導者となり、北条氏専制の基盤を更に固めます。
では、義時は、どのようにして、権力への階段を駆け登っていったのでしょうか。義時が、権力に近付くことができた第1の契機は、自らの姉の北条政子が、伊豆に流罪となっていた源頼朝と婚姻したことです。
頼朝と政子が婚姻した時は、頼朝は流人であり、義時は流人(罪人)の義弟になったに過ぎませんでした。ところが人生とは何が起こるか分からないものです。
治承4年(1180)8月に、頼朝が反平家の旗を挙げ、挙兵。石橋山の戦いという敗戦を経つつも、千葉の豪族たちを味方に付けつつ、鎌倉に入ったことで、頼朝だけでなく、義時の運命も変わります。
ちなみに、父・時政、兄・宗時、そして義時も、頼朝挙兵に従っています(宗時は、石橋山の戦い直後の戦闘で討死)。姉・政子が頼朝と結ばれていなければ、頼朝が挙兵していなければ、義時は、伊豆の小豪族の次男坊として、生を終えたことでしょう。
人生において、何が偶然で何が必然だったかということは判別が難しいことではありますが、前述の2要素(頼朝と政子の結婚、頼朝挙兵)は「偶然」の要素も強いと私は思っています。父・時政やその次男・義時はこの「偶然」を「運」(幸運)に変えて、引き寄せて、権力を握っていったと言えるかもしれません(もちろん、それは頼朝にも当てはまると言えましょう)。
偶然(たまたま)を運に変えると聞くと、リーダーたるもの運が良くなければいけないと思うかもしれませんが、静岡銀行・豊田通商などの企業の社外取締役、文部科学省参与などを歴任した藤沢久美さんは「そうではありません」と断言しています(同氏「優秀なリーダーほどまぐれを味方にする」『ダイヤモンドオンライン』2016・2・16)。
藤沢さんは「リーダーたちは、つねに考え続けているがゆえに、大事な情報を見逃さない」「その姿は、あたかも全身から釣り針が出ているような状態」と述べています。優秀なリーダーは「つねに事業のこと、社員のこと、組織のこと、世の中のこと、いろんなことを考えている」ので、有益な情報が次々と入ってくると言うのです。
つまり、成功は偶然のように見えて、常に様々なことを考え続けてきたからこそ、成功を収めることができるということでしょう。頼朝挙兵の時(1180年)は、義時は17歳ですので、義時は挙兵に参加したとは言え、頼朝と共に主体的に動いたのは、父・時政です(それは、政子の婚姻にしてもそうです)。