徳島大正銀行と香川銀行を傘下に持つ金融持株会社、トモニホールディングス。徳島県・香川県・大阪府を中心に、地域密着型の金融グループとして、堅調に収益を拡大している。日銀から転じ、2018年に社長に就任した中村武氏が進めてきた変革と、デフレ脱却後の地域金融機関の役割を聞いた。
■【前編】 トモニHDがトップから現場まで一体で進める、地域密着型金融グループへの道(本稿)
■【後編】トモニHDが徳島大正銀行と香川銀行の「2行体制」を堅持する2つの理由
地銀では珍しかった「攻めの経営統合」
――中村さんは2017年に日銀を退職し、トモニホールディングスに入社されました。トモニホールディングスはどのような成り立ちの会社ですか。また、中村さんはどんな経緯でトモニホールディングスに移られたのでしょうか。
中村武氏(以下敬称略) トモニホールディングスは、2010年に徳島銀行と香川銀行という2つの地銀が経営統合して誕生しました。その後、徳島銀行が大阪の旧大正銀行と合併し、徳島大正銀行となっています。
2010年当時の地銀を取り巻く情勢は、1990年代のバブル崩壊以降、長年続いていた経済の低迷により、全体としては厳しい経営状況が続いていました。その中で地銀の経営統合が続いていましたが、その多くは、どちらかに公的資金が入るのと同時に統合する、いわゆる「救済型」だったのに対し、当社は、そうではない「戦略型」の統合であり、異彩を放っていました。
当時、徳島銀行の柿内愼市、香川銀行の遠山誠司という2人の頭取がこの経営統合をリードしたわけですが、現状に安住することなく、先手を打って変化していくという意志で経営統合を成し遂げました。
その当時、私は日銀の高松支店長を務めており、両行から統合について説明を受ける立場にありました。話を聞いて、両トップからは統合に賭ける気概、強い意志を感じることができました。そのときの縁もあって声を掛けていただき、2017年にトモニホールディングスに入社し、2018年から社長を務めることになったという経緯です。
貸出金の残高で見る当社の規模は、現在2行合わせて約3兆5000億円で、これは当地域の他の地銀でいうと百十四銀行とほぼ同じ、阿波銀行の約1.4倍になります。
――経営統合当時の2行の規模が、ほぼ同じだったことも、統合がスムーズに進んだ一因でしょうか。
中村 そうですね。両行が対等な形で持株会社のアンブレラの下に入った形です。現在は旧大正銀行を加えた徳島大正銀行が、香川銀行の1.3倍ほどの規模になっていますが、両行の対等な関係は全く変わっていません。
「金利のある世界」の銀行に求められること
――現在の地方経済を取り巻く状況をどう見ていますか。
中村 今、長年続いてきたデフレ経済、ゼロ金利がようやく終わりを告げ、新しい段階に入ろうとしています。物価が上がり、賃金が上がり、そして「金利がある世界」へと日本社会が回帰する局面に入ったのです。
企業経営者にとっては、例えば原材料費が上がるため、製品の価格転嫁が重要になると同時に、従業員の賃金を上げなければいけません。さらに、受けた融資に対して金利を支払うことも必要になります。
これは、ある意味正常な経済に戻るということなのですが、異常な時代が長らく続いたため、もはや未知の世界と言ってもいいかもしれません。それだけに厳しくもあり、同時にチャンスでもあるということです。
とりわけ、当社のメインの取引先である中小企業の経営にとって大きな影響があるため、当社のサポートも重要になると気を引き締めています。例えば、事業転換によって再び成長軌道に乗ることも可能になり、あるいはダメージをできるだけ小さくコントロールするという形もあります。
当然、日本社会のより大きな構造変化である、少子化、高齢化という課題もあります。徳島、香川の両県は、この15年間で人口が1割以上も減少しました。経営者の高齢化による事業承継のニーズも増加しています。
――いわゆる「失われた30年」で下落した株価は、ここにきて回復しましたが、その間に起こった構造的変化は大きいということですね。
中村 はい。事業支援にも新たな考え方が必要です。昭和の時代と決定的に違うのは、IT、デジタル技術の進展です。それによって生産性を圧倒的に向上する術は存在します。しかし、全ての企業がその力を等しく受け入れられるわけではありません。例えば、当地香川の地元交通である「ことでん」は、運転手不足からバス便を25%削減することを決めました。単純にデジタルに置き換えることができない問題もあります。
個社の置かれている状況により、当然最適な解決策は異なります。万能な手段はなく、一つ一つ手作りしながら問題を解決していく必要がある。それが従来の事業支援との決定的な違いだと思います。