ノンフィクション作家 野地秩嘉氏(撮影:内藤洋司)

 2021年3月期決算、純利益・株価・時価総額という3つの指標で総合商社トップを獲得した伊藤忠商事(以下、伊藤忠)。非財閥系・非資源分野の商社が、なぜここまで登り詰めることができたのか。前編に続き、書籍『伊藤忠――財閥系を超えた最強商人』を著したノンフィクション作家の野地秩嘉氏に、伊藤忠の強さについて語ってもらった。伊藤忠の発展の原動力となった考え方と、同社が着目する新たな事業分野とは?

■【前編】「か・け・ふ」経営で商社三冠王、徹底取材で見えてきた伊藤忠の強さの秘密
■【後編】自社都合は封印、伊藤忠が実践した「徹底したマーケットイン」の取り組みとは(今回)

「売れない商品」が生まれる理由

――ご著書では、伊藤忠の岡藤正広会長が商社発展の原動力に挙げた「マーケットイン」と「イニシアチブ」について解説されています。

野地秩嘉氏(以下敬称略) マーケットインとは要するに「ユーザーファースト」。つまり、お客さんを見るということです。岡藤会長はあらゆる場面で口を酸っぱくして「自分たちの都合で物を売るな」と言っています。「Aを仕入れてしまったから、Aを売る」では、決してお客さんは買ってくれないと言うのです。

野地秩嘉/ノンフィクション作家

1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務、美術展のプロデューサーなどを経てノンフィクション作家に。『TOKYO オリンピック物語』(小学館文庫)でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。『キャンティ物語』(幻冬舎文庫)、『サービスの達人たち』『トヨタ物語』(新潮文庫)、『高倉健インタヴューズ』(小学館文庫)、『スバル ヒコーキ野郎が作ったクルマ』『日本人とインド人』(プレジデント社)、『京味物語』(光文社)、『警察庁長官 知られざる警察トップの仕事と素顔』(朝日新聞出版)など多数の著書がある。

 岡藤会長が主導した例として、「紳士服地に女性に人気な有名ブランド名をつけて販売した」というものがあります。これは、岡藤会長が紳士服を選んでいるお客さんの様子を実際に見て、「紳士服を選ぶのは女性だ」という気付きを得たことから企画されたものです。結果として、爆発的な売れ行きを記録しました。

 商社は縦割り組織になりがちなので、マーケットインを実践しようとすると壁が立ちはだかります。ここには岡藤会長も苦労したと話していますが、マーケットインを大事にする思想が浸透したことで、伊藤忠では縦割りを打開しつつあります。

 あらゆるところでマーケットインの考え方を伝えているからこそ、新たな企画が出てきたときに「これはマーケットインではない」と却下できるのです。

――「イニシアチブ」はどういう意味でしょうか。

野地 イニシアチブは、商流の主導権を握ることを意味します。先ほど紹介した「紳士服地にブランドをつける」という行為は、まさにイニシアチブの実例です。あらゆるブランドに声をかけて権利を先に押さえれば、競合他社は真似しようがなくなりますから。

 食料資源にしても同じです。例えば、伊藤忠はバナナのブランド「Dole」を自社ブランド化しました。バナナの味自体は他ブランドでもそこまで大きく変わるものではありませんよね。でも、有名ブランドが一定のシェアを持っていると、みんながそれを買うようになります。

 衣料品の分野でいうと、ユニクロの「ヒートテック」がわかりやすい例ではないでしょうか。他ブランドから似たような商品がヒートテックより安く発売されていても、ヒートテックを選ぶ人は多いはず。そういったことが「イニシアチブを取る」ことを意味します。