また、産業部門に目を転じても、日本のIT投資の対GDP比率は、米国とほぼ同じとなっています。日本企業はITに、それなりにお金も使っているわけです。これらを見る限り、日本のデジタル化は、「諸悪の根源」にされるほど遅れているわけではないとみるのが妥当な評価でしょう。

日米のICT投資額の対GDP比率

 それにもかかわらず、「日本のデジタル化の遅れ」が、世論やメディアでこれほど注目されるようになったのはなぜでしょうか。もちろん、デジタル化の方法やお金の使い方に見直すべき点があるのは確かでしょう。ただ、「日本企業のROEの低さ」や「行政サービスの非効率性」などさまざまな問題について、「それはデジタル化が遅れているから」という、一見飛びつきやすい説明が行われがちな面もあると感じます。デジタル化はもちろん大事ですが、デジタル化の遅れに全ての責任を押し付け、他の重要な論点を見通すことのないよう、注意していく必要があります。「デジタル化すればあらゆる問題が解決する」といった楽観論は、むしろ危険です。

問題の核心は「技術」ではない

「行政分野のデジタル化」に関し、デジタル化先進国とされる北欧諸国の実情については、「デジタル化する世界と金融」(金融財政事情、2020年)という書籍でもご紹介しています。これらの国々が繰り返し強調していたのは、「デジタル化の成否は、技術以外の要因にかかっている」という点でした。

https://www.kinzai.jp/item/b13558/

 例えば、エストニアは、国民IDカードに用いられる技術自体に各国間で大きな差はなく、その効果は「全国民が対象かどうか」で大きく異なると強調していました(第1回第2回参照)。すなわち、国民IDカードの取得を任意とすると、紙や手作業によるマニュアル事務も残さざるを得なくなります。そうなると、デジタル・マニュアル両面での事務対応を行うことがむしろコスト高を招き、行政効率化にも財政負担軽減にもつながらないとのことでした。だからこそエストニアは、国民IDカードを全国民に配ったわけです。

 もちろん、エストニア当局は、デジタル化による全ての人々の「包摂」(inclusion)、すなわち、「誰一人取り残さない」ことにも十分配慮していると説明していました。そのうえで、そのためにマニュアル対応を残すのではなく、高齢者などにも親切かつ徹底的にデジタル媒体の使い方を教えるのだと語っていました。エストニア当局者は、丁寧に指導すれば、高齢者がデジタル媒体を使えないということは全くないとも強調していました。