訪問販売の最初の現場で起きた奇跡

 恥ずかしさのあまり今にも逃げ出したいぐらいだったが、新しい家族ができるという責任感と、こんな自分に手を差し伸べてくれた久世に対する感謝の気持ちもあり、勝山はもう少し頑張ろうと踏みとどまった。このときに逃げ出していれば、勝山の人生は今とは違った姿になっていただろう。

 そして研修を終えた後、「これをイチからやり直せ」と言って久世は勝山にあるものを渡した。それは、小学2年生向けの漢字ドリルと計算ドリルだった。

 確かに、通信回線を切り替えるメリットをプレゼンするのに、読み書きや計算ができなければ話にならない。まわりにバカにされた勝山は、自分の学力レベルを認め、小2のドリルをコツコツと解くことにした。最終的に、小5のドリルまで解いたという。

 このときの勉強は、もちろん営業の仕事にも役に立ったが、また別の変化を勝山に与えた。気に入らないことがあっても、言葉で説明できるようになったのだ。

 それまでの勝山は何かあるとすぐに手が出ていたが、それは自分の感情をコントロールできないということ以上に、自分の気持ちを言葉でうまく説明できなかったという側面が大きい。漢字の勉強は語彙を増やすことにつながる。その後、徐々に語彙を増やしていった勝山は、自分でも驚くほど感情を制御できるようになっていった。

 こうして1カ月間の“基礎教育”を終えた勝山は、いよいよ訪問販売の現場に立つことになった。場所は、久世の地元である山科である。ここで、一つの奇跡が起きる。

 ドキドキしながらある家のインターホンを押すと、出てきたのはおっちゃんだった。そののやり取りがまさかの展開になった。

「おお、営業がんばっとるな」
「今日が初めてなんです」
「おお、そうかそうか。何を売ってるん? インターネット? 安うなるんか?」
「お客さまの契約次第ではお得になると思います」
「そうか、よっしゃ。買ったるわ!!」
「本当ですか!?」
「任しとけ。よっしゃ、試しにトークしてみい。うまくできているか、チェックしたるわ」

 訪問販売の経験者であればわかるかもしれないが、このようなフレンドリーな人は滅多にいない。たいていは訪問販売と聞いてブチッと切るか、玄関扉をバタンと閉じる。こんなに気のいい人は普通はいない。

 その滅多にいない人が最初の訪問先というのは、ある意味で勝山の引きの強さなのだろう。