遺伝の影響を認めたうえでどう生きるか

 一方、例えば親の嫌な面を見た時、子どもが、これは自分の中にもある遺伝だな、と考えることができたとします。

 子どもは、これは遺伝だと考えることで、まずはその状況を認めます。状況を認めたうえでどうしようかと考えます。これがむしろ子どもにとっては良いことなのだと、私はつねづねお話ししてきました。

 私の著書である『日本人の9割が知らない遺伝の真実』(SBクリエイティブ)は、《現代社会の格差や不平等の根幹には、知能をはじめとした「才能」が遺伝の影響を受けていることが挙げられる。これはショッキングな事実ではあるが、だとしたら「才能は遺伝がすべて」「勉強してもムダ」「遺伝の影響は一生変わらない」などと思われがちだ。しかし、それは誤解》ということを書いた本です。

 この本の読後感想として、「子どもがこれを読み、なんで僕をこんなにしたんだ、と大暴れして困っている」というメールを受け取ったことがあります。もう一度読んでいただいて、なおかつ問題があると思われるようなら直接お会いして説明します、と返信したところ、その後の応答もなく今まできています。

 確かに遺伝の影響というものは、今まさに努力の最中にある人にとって、頑張ってはみても遺伝というものがある、親は実はそれほど頭が良くなかった、といったことがすべて繋がり、今までやってきたこと、今まさにやっていることがすべて無駄になる、と思わせるものでもあります。これはかなりショッキングなことではあるでしょう。

 努力はすべて無駄であるというふうに受け取られてしまうのは本意ではありませんし、 私はもちろん、そういう意味で研究の成果をお話しているわけでもありません。

 しかし、科学的事実としてそういう結果となる場合があります。事実を認め難いままにものすごい絶望を経験してしまうフェーズを通過する人もまた、確かにいらっしゃいます。

 私は、そういう人は、その絶望に根を張って絶望から立ち上がっていくっていうことになるのではないか、そしてそれこそが世界を素晴らしいものにしていくことなのではないか、と考えています。立ち上がるというのは、偶然や環境や条件の変化から起こるものではなくて、生命である限り必ず出てくる力だろうと思います。

 呑気な話のように聞こえるかもしれません。何をやっても無駄であるという事実を受け入れることによってそこからスタートする、ということなのですが、スタートする力においてもまたひょっとすれば遺伝の影響が大きいわけです。したがって、絶望しやすい遺伝子というものも可能性としては存在するでしょう。

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