SL運行で知られる大井川鐵道ができた背景にも

 江戸時代、ダムが開発される前には、この大量の砂利が川を流れていたのだから、すぐに川底に砂利がたまったことだろう。水も遮るものがなく、もろに本流を流れていたから、おそろしく氾濫しやすかったに違いない。

 いまの大井川には多くのダムが並び、水は主に地中にある導水路を通るから、水の流れは視界から消えて、コンクリートと鉄だらけの風景になった。かつての大井川はさぞ雄大な大自然の景観だったと思われるが、これは今ではまったく想像するほかない。

 だがこれだけの工事をしたからこそ、大井川の治水ができた。川を橋で渡ることができるようになり、氾濫を起こすこともめったになくなった。

 川口発電所で発電を終えた水は、安定した農業用水、工業用水、生活用水として利用され、60万人余の人々の暮らしを支えるようになった。この一連の工事のために鉄道まで作った。これがいまでは大井川鐵道となり、SLが走り、観光客で賑わっている。

 水の利用、というと生活用水を思い浮かべがちだが、大井川では生活用水は少なく、もっとも量が多いのは農業用水である。次いで多いのは工業用水で、製紙工場などで利用される。

 古くから製紙業が栄えた場所といえば静岡県富士市や北海道苫小牧市も有名だが、共通点は水が豊富なことだ。火力発電に取って代わられる前までは、水力発電こそが日本の発電の主力だった。豊富な電気と工業用水が得られることが工場立地の重要な条件だった。

 この付近のダムや水力発電所を一括して監視・制御しているのは中部電力の塩郷水力制御所であり、二十数名の職員が24時間交替勤務で働いている。