クリミア併合の記念行事に出席したプーチン大統領(写真:ロイター/アフロ)

 1996年8月のサンクトペテルブルク市長選で、当時市長だったアナトリー・サプチャークが敗れ、サプチャークの元で第一副市長を務めていたプーチンも辞職に追い込まれた。その後、ロシア大統領府総務局長のパーヴェル・ボロジンがプーチンを次長に抜擢し、ここからわずか3年半後にプーチンはロシアの大統領に就任している。以来、20年以上も(途中首相に転じた時期もあったが)彼は権力のトップに居座っている。

 47歳で大統領になったプーチンも、今年10月に71歳の誕生日を迎えた。この20年以上の間に、プーチンはどのような主張を掲げ、ロシア国民と世界に対して何を語ってきたのか。彼の言葉を時系列に見ていくと何が分かるのか。『プーチン重要論説集』(星海社新書)を上梓した翻訳家の山形浩生氏に聞いた。(聞き手:長野光、ビデオジャーナリスト)

──1999年に大統領に就任してからの、プーチンの重要な論説や演説を集め、翻訳して紹介されています。なぜ本書を書かれたのでしょうか。

山形浩生氏(以下、山形):クレムリンがプーチンの論説や演説を英語版にして公式に公開しており、それを中心にプーチンの発言を翻訳していきました。つまり、プーチンが公式にどういうことを語ってきたのかをまとめたのが本書になります。

 2022年3月に、朝日新聞が「プーチン氏『たまたま口に入ったハエのように、裏切り者吐き出せる』」というタイトルで記事を出していますが、このように言葉尻だけをとらえてプーチンの印象を語るのは、あまり生産的だとは思えない。前後の関係をもっと考慮しながらプーチンの言葉を議論すべきです。

 これは、今回の本にも含みましたが、ウクライナ戦争が始まってしばらくしたタイミングで「ウクライナとロシアの歴史的一体性」に関する論文をプーチンが出しています。この内容は、プーチンの論理を理解する上では重要なものですが、まとまった翻訳が発表されるまでには、だいぶ時間がかかりました。

 つまみ食いのように、いろんなコメントが、いろんなところで引用されているのですが、そもそも原文(引用されているプーチンの論説や演説)がどのような論旨で語られているのか、全体がよく見えない。そして、翻訳は見つからない。そういうことが多々ありました。

 この本を書く前に、私はちょうどプーチンの伝記を訳していたのですが、伝記の中でも、プーチンの過去の様々な発言が出てきます。訳しながら、そういった発言を読んだり、あるいは引用したりしたいのですが、この時もまとまった翻訳が見つからないことが多く、日本のロシア大使館が部分的に日本語訳を出したり、ごくごく限られた部分がどこかのフェイスブックに掲載されていたりしている程度でした。

 だから、プーチンが好きか嫌いかは別として、プーチンを論じたり分析したりするための資料として、もう少し日本語訳が読める環境を整えたかったのです。

 まず、彼の伝記の中で重要視されている論文や演説をいくつか拾って訳してみました。さらに、そういった重要な論文や演説の後に、プーチンが記者会見をしている。そこで、論説や演説での発言の主旨をプーチン自身があらためて自分の言葉で説明したときの発言録もある。

 こういったものを訳して、並べて見ていくと、プーチンがその時々で何をしようとしていたのか、また彼の主張や意図がどう変化していったのかということについて、見えてくる部分があります。

──1999年から、ウクライナ戦争に突入後の2022年9月21日の演説まで訳されています。プーチンの思想やロジックは、どのように変化してきたのでしょうか。