係争地であるナゴルノ・カラバフでアゼルバイジャンによる軍事行動を受けて、アルメニアの首都エレバンでは抗議活動が広がった(写真:ロイター/アフロ)

9月19日から20日にかけて、アゼルバイジャンは隣国アルメニアとの係争地ナゴルノ・カラバフで軍事作戦を展開し、アルメニア人勢力を降伏させました。今回の軍事作戦はウクライナ戦争の動きとも連動しており、アルメニアを支援してきたロシアの威信失墜にもつながります。プーチン政権にとっては外交上の痛手となるわけですが、今回はこのナゴルノ・カラバフ紛争や、アゼルバイジャンとアルメニアについて歴史を振り返りながら解説します。

(宇山 卓栄:著作家)

これまで2回の紛争が発生

 これまで、アゼルバイジャンとアルメニアの間で、2回のナゴルノ・カラバフ紛争が起こっています。

 1922年以降、両国はソ連に編入されていましたが、1991年、ソ連の解体によって、独立します。しかし、それまで、ソ連の存在によって抑えられていた両国の民族対立が表面化し、アルメニアとアゼルバイジャンの間で、ナゴルノ・カラバフ地域の帰属問題が発生します。

 軍事的な衝突が起き、第1次ナゴルノ・カラバフ紛争となります。この紛争では、アルメニアが優勢のまま、周辺地域を含めて実効支配します。もともと、ナゴルノ・カラバフ地域では、アルメニア人が多数派を占めていました。

ナゴルノ・カラバフの場所(画像:共同通信社)

 2020年、両国の間で紛争が再燃し、第2次ナゴルノ・カラバフ紛争が起こります。双方が相手国を空爆し、多くの犠牲者が出ました。ナゴルノ・カラバフ地域はアゼルバイジャンに奪い返されました。アルメニアは停戦に合意しています。

 それまでの十数年、アゼルバイジャンはバクー油田などを持つ産油国として、急激に経済成長を遂げました。アゼルバイジャンは豊かな財政で軍備を増強するなど、アルメニアに大きな差を付けます。

 一方、アルメニアでは、2018年、民主化で自由主義的な政権が誕生し、新政権は従来の親ロシア路線を修正し、欧米に接近しました。アルメニアとロシアの不和を見越したアゼルバイジャンがトルコの支援を得て、強硬路線に踏み切り、第2次ナゴルノ・カラバフ紛争に勝利したのです。

 2020年の第2次ナゴルノ・カラバフ紛争で、既に、アゼルバイジャンの優勢と同地域の実効支配が固まっていましたが、その後も同地域のアルメニア人武装勢力は抵抗を続けていました。

 それが今回、アゼルバイジャンは最終的にアルメニア人武装勢力の排除に成功したのです。